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2008/03/28

多神教的な宇宙としての琉球弧

 中沢新一は、多神教的な宇宙の典型のように琉球弧を紹介しています。

 このような多神教的な神々の宇宙の基本構造を、日本の南西諸島(奄美や沖縄にある島々のこと)ほどくっきり鮮やかに示している地帯も少ないのではないでしょうか。そこでは、高神もいれば来訪神も出現するし、樹木に住む小さなスピリットたちもいればといった具合で、スピリット世界が「対称性の自発的破れ」をおこしてそこから多神教宇宙があらわれでてきたのが、まるでつい昨日のことであったかのような、ういういしい様子で、いまでも私たちを迎えてくれるのです。

 日本列島の本土のほうでは、多神教の宇宙は奄美や沖縄におけるようなストレートな形態をしていません。高神の要素のほうははっきりとあらわれているのに、来訪神のほうが明瞭な形ではあらわれてこないからです(この間題はあとでもう一度詳しくとりあげるつもりです)。柳田国男と折口信夫の二人が、一九二〇年代に相次いで奄美諸島や沖縄本島・先島諸島に渡り、そこで出会った来訪神の姿に深い衝撃を受けて、それ以来日本の宗教史についてまったく新しい考え方を抱くようになったのは、そのあたりに原因があるのではないかと、私などは考えています。

 じっさい南島の神々は、そこの太陽の輝きのようにあざやかな形で、私たちの前に出現してくるのです。そこには「常在神」と「来訪神」という二つのまったく違うタイプの神がいて、たがいに相手をおぎないあいながら、豊かな多神教の宇宙をかたちづくっています。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 多神教的な宇宙はこんな構造をしていると言います。

 (多神教宇宙)=(高神)+(来訪神)+(残余のスピリット)

 中沢は、この多神教宇宙の基本構造を「高神=垂直神型」と「来訪神=水平神型」と整理するのですが、、ぼくはその前に「残余のスピリット」にまず目を奪われます。「残余のスピリット」に、イシャトゥもウグミもウンワラビも、「樹木に住む小さなスピリットたち」であるキジムナーもケンムンも含まれるからです。彼らはぼくたちの生活のなかでもとても身近な存在でしたから。

 そして、本土では「来訪神」が芸能にとって変わられているために、本土では多神教宇宙を明確な形で見いだせないが、琉球弧では、「多神教宇宙があらわれでてきたのが、まるでつい昨日のことであったかのような、ういういしい様子で、いまでも私たちを迎えてくれるのです」と言うのですが、ぼくも「残余のスピリット」たちの延長に、それが琉球弧の魅力ではないかと感じるところです。

 そこで、多神教宇宙の構造の中身について、中沢の言うところを追ってみたいと思います。



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コメント

喜山様

コメントありがとうございます。
前利さんがおっしゃった「引き裂かれる」とは、道州制が 実施された場合、九州州と一緒になろうとする奄美諸島と、沖縄州とともに歩もうとする奄美諸島に分かれるという意味ではないかと考えました。詳しくは、前利さんからお聞きください。
いつの日か、与論島でも「ゆいまーるの集い」が開かれればいいなと考えています。

               松島泰勝拝

投稿: 松島泰勝 | 2008/03/29 14:13

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