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2008/03/03

雨乞いとインターネット

 夜景(「銀河と夜景」)と都市(「亜熱帯と都市」)に続いて、ぼくが東京と与論が似ていると感じるのは、もう東京じゃなくてもいい、すでに与論でも体感できることで、それは都心的とでも言ったらいいと思う。

 それらのものたちは、あの、「あみたぼーり、たぼーり」という雨乞いと、どこかが似ている。

 雨乞いは、念じること祈ることで世界を動かすという人と自然の関係を現しています。たとえ今それは、伝統舞踊そのものになっていて、信ずべき言葉になっていないにしても、かつてそれは間違いなく信じられていた言葉でした。

 念じることで世界を動かす。ぼくがここで取り上げたいのは、そんな人と世界の関係のことです。

 たとえば、駅帯電話は、電話機やパソコンのある場所で電話やeメールはできるという、空間のくびきを解きました。結果、ぼくたちは思いついたときに、電話をかけたりeメールをしたりするようになっています。これは念じれば動くという関係とは違いますが、それでも、いつでもどこでもできるという感覚は、つながりたいときにつながれるという実感を通じて、念じることで動くという関係を連想させます。

 去年の2007年、一挙にヒット商品化した電子マネーは、都市空間を自在に行き来できるという実感を通じて、念じることで世界が動くという関係を連想させます。切符を買い、改札を通るというのは移動の律速段階でしたが、それが、改札でまるで念じるようにカードを押し付けるだけで素通りできるというのは、都市空間が遮るもののない自在な空間になるという感覚を育てています。

 念じれば世界は動くという実感をいまもっとも与えてくれるのは、他でもなくインターネットです。どこでもドアのようにクリックすれば別の世界へ行き、キーの操作だけで、ブログを書いたり、プログラムを書いたりすると、それがネットに反映されて世界は動きます。それは、アイデア次第で世界は動くという感覚を育てているように思えます。

 グーグルアースは、シミュレーションとして、念ずれば地球は動くという実感を届けてくれます。また、テレビゲームも指先の動きが身体化すれば、ほとんど、念じることが世界を動かすことにつながっています。

 こうした、携帯電話、電子マネー、インターネット、テレビゲームのような都心的なものが進展すればするほど、アミタボーリ(雨乞い)の世界に似てくるような気がします。




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コメント

 クオリアさん

 体力の限界まで念じ続けるアミタボーリの所作に
は、大変な念力がこもっていると思います
延々と、長々引きずって唱えるかのような詠うかの
ような朗詠も、棒担ぎも、太鼓持ちも太鼓叩きも・・・

 何でもないことのように見えて、それをやめるの
は生きることをやめることなのだというどんずまり
の思いがひしひしと迫ってくるようです
 やっている最中に雨が降るのも凄いですね
念ずれば通ず・・・なのか、真理に近いものがある
ように思えてきます

投稿: サッちゃん | 2008/03/04 00:55

おはようございます。

こんな会話が出来るのも、

 念じれば  通ずなのでしょうね。

 お二人さんが、
    身近にいるようです。

 クオリアさんを通しての、私に見えていない世界を楽しんでいます。
     

投稿: わらび | 2008/03/04 05:33

> サッちゃんさん

アミタボーリの所作、ぼくは実際には見たことがないのです。いつかきっとその場を共有したいです。

「それをやめるのは生きることをやめること」。
ぼくもそう思います。

> わらびさん

こんな会話ができること、ぼくもとても嬉しいです。
お二人にはとても感謝しています。

投稿: 喜山 | 2008/03/04 22:57

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