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2008/03/22

上十条のヨロン島

 料亭(懐石・割烹)とあったから、財布は大丈夫だろうか、食べるものは一杯あるだろうかと気にしながら訪ねたら、「ごめんなさいね、食べるもの、今日はあんまり用意してないのよ」と逆の意味で言われた。

 「ちょっと待ってね。何か見繕うから」。そう言うと、ウバはカウンターの向こう側に行って冷蔵庫を空けたりガスに火をつけたりし始める。ぼくたちは、等身大の女性の裸の後姿のポスター?が張ってある奥の席に腰かけてビールを飲んだ。「生は置いてないの。瓶になるけど」。「いいですよ」と、冷蔵庫まで取りに行くぐらい自分でしようかなと思ったけど、ウバは栓を当てて片手をすっと降ろすと、瓶はスポッといい音をたてて開封された。格好よくてなまじ手伝わなくてよかった気がした。

 カウンターには、高齢のウジャ、ウバが五人ほど連なってにぎやかだ。ゆうべは寒く、みんなコートやオーバーを着たまま飲んでいた。それを後ろから眺めていると、なかなか絵になっていて映画の1シーンを見ているようだった。

 壁には、ちゃんと見ていないのでうろ覚えだけれど、何人かの人をかたどった赤と黄と黒の大きな絨毯がかけてあった。ロカビリー演歌歌手と銘打った誰かのポスターもあった。そんな中のひとつにヨロン島のポスターもあって、店名以外では、それが与論とのつながりを教える唯一のものだった。

 換気扇が動いていないのか、煙草の煙が立ち込めてくると、入口を開けて椅子ではさんで逃がしてやっていた。すると寒い風が店内に入り込んできて、ぼくも上着を脱いだり着けたりした。

 ひとり帰りふたり帰りして、残ったウジャ、ウバがカラオケを注文。巨大冷蔵庫のようなカラオケにセットして、「大阪時雨」に始まり、あとはぼくの知らない演歌が続く。曲の合間には、巨大冷蔵庫的カラオケからプスプスプスプスと音が鳴り止まない。「掃除してくれる人がいないのよ」と、ウバ。

 聞けば、ウバは茶花の人。アチャ(父)がユンヌンチュ(与論人)で、アンマー(母)は大牟田だそうだ。「やっぱりねえ、島の人が来ると嬉しいよ。懐かしいからね」。ウバはユンヌフトゥバ(与論言葉)ではしゃべらなかったけれど、時々、「アッシェー」って口にするので、ああ島の人と納得。

 残ったウジャが同行のヤカ(兄)と高齢の恋の話をはじめると、「わたしはそんなの分からん、知らない、疲れる」と、きっぱり背中を向けて煙草を吸うのだった。その後姿に、ウバの来し方の年輪があった。

 与論ゆかりの場所を訪ねると、そこにはきっと与論がある。ウバの店には、店名とポスターだけが外見にそれと分かる与論印だったけれど、尋ねる人だけに応えるようにウバと与論のムヌガッタイ(物語)を分かち合えた。人それぞれの与論だなあと感じ入ります。

 その夜、ウバが出してくれた唯一の料理の焼きうどんは、お袋の味のように、うまかった。


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