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2008/02/09

グージャー

 映画『ジュマンジ』の“ジュマンジ”のような呪文にまつわるお話。これも楽しい。

 新築祝いの前に、成年二人が茶碗にお粥(かゆ)の上汁を入れて持ち、家の四隅の内と外で次の言葉を掛け合い、三度回る。  まず、表の隅で、外の者が粥を口に含み吹きかけてから、大きな声で「へーイ」と呼びかけると、内の者が「ヘーイ」と応える。以下は与論町誌1049貢に記載されているものである。

 『外の者が、
 此の殿内(地)の隅のシンジュマンジュケンジュと唱えると、
 内の者が、
 マンネーケンケー 鯨 鰐 鮫(グージャー、ワン、サマ)シンパタナゲーリと応える。四隅で吸って吹きかけ唱えて三度回る。
 この言葉の意味は、外の者が 「此の家の隅に、住むすき間はないか」と問いかけたのに対し、「隅々まで、鯨や鰐や鮫がひっくりかえったりして騒ぎ回っているので、すき間はない」という意味だという。家の中に悪魔を入れない問答で、ここで悪魔というのは貧乏神ということである』

 この短い儀礼の中に、いろいろな意味が込められていて、発想の豊かさを思う。ミシャフを吹きかけるのは、米の霊威を使い、悪霊を吹き払うのであるが、吹きかけるさまは鯨の潮吹きを思わせる。シンパタナゲーリは鯨のブリーチングを言い表したものだろうか。鯨は地球最大の動物で、外の貧乏神を撃退し、豊かさをイメージさせる。鯨の骨は魔除けに使われる。新築したこの家は、地上最大のグージャーがはねてもびくともしない頑丈で大きく豊かであることの宣言である。

 昔の人は、魔除け呪術として行われる二人の青年のユーモラスなしぐさを神霊魂に対する敬虔心の中にちょっぴりの遊び心で楽しんでいたであろう。古人の心豊かさである。
 トゥラが子供の頃、これを真似て、「シンジュ、マンジュ、ケンジュ」、「マンネーキンネー、グージャーワンサマ、シンパタナゲーリ」と言って遊んだのを覚えている。町誌に記述されている「マンネーケンケー」が「マンネーキンネー」と転訛している。

 「シンジュマンジュケンジュ」を「千寿、万寿、京寿」だという異説(少数派)がある。これに由来したものかどうか、「千寿、万寿、献寿」を毎年の年賀状の寿詞にしている人がいる。「シンジュ マンジュ ケンジュ」を祝い言葉として「千寿、万寿、献寿」を当て、「マンネーキンネー」を「全く同じです」 とし、「グージャーワンサマ シンパタナゲーリ」を「鯨、鰐、鮫が上を下への大騒ぎ」とすると、新築祝いにふさわしく、外から「ヘーイ、千寿、万寿、献寿」と呼びかけ、内から「全く同じ。みんなグージャーになってワンドゥソーロー 大騒ぎ」と解釈すると、喜びの爆発となる。このしぐさ、狂言劇風でユーモラスである。与論十五夜締りの「ピートウヌカースー」を思い出させる。

 サティム サティサティ。この短い呪術、人によって文言や意味解釈が違う。外の悪魔は、貧乏神とする説 (町誌)、火事を起こす火玉とする説、病魔も含めた邪悪な魔物説等がある。「シンジュ マンジュケンジュ」 を 「この家の隅に、住むすき間はないか」 という問いかけだとする説(与論町誌)、「住むところ、間、気」 はないかという問いかけだとする説、新築祝いの言葉だから「千寿、万寿、献寿」とする説、等がある。「グージャー、ワンサマ」を「鯨、鰐、鮫」とする説、「鯨」だけ説、等がある。さらには「シンパタナゲーリ」を上を下への大騒ぎ」とする説、「シンパタナゲーリ」ではなくて、「シンパンゲーリ」で「大きくていっぱいにはまっている意味」だとする説、等ある。お釈迦様の教えがいろいろと解釈され、分かれていったごとくである。(『ドゥダンミン3』竹下徹)

 いまでも与論島から鯨が目撃されることがあるから、島の海人にとって鯨は身近だったに違いない。「沖縄日和」の岩井さんの「ホエールソング」では、クジラの鳴き声を聞くことができる。あんなにはっきりと聞こえるから、海人が親しんできた海の音のひとつなのだと思う。

 そのクジラを、与論言葉ではグージャーといい、新築祝いの儀礼の呪文のなかに登場しているわけだ。

 「シンジュマンジュケンジュ」。」、「マンネーキンネー、グージャーワンサマ、シンパタナゲーリ」。
 お茶目な言葉遊びのある呪文だと思う。

 父が鹿児島に家を建てたとき、叔父が、与論式でおまじないをしてみんながびっくりしていたと、母から聞いたけれど、これだったのかと合点した。「マンネーケンケー、グージャー、ワン、サマ、シンパタナゲーリ」と、ウジャはパフォーマンスしたわけだ。この呪文の由来を、『ドゥダンミン3』で知り、ウジャはいいことをしてくれたんだなと改めて思った。


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コメント

 クオリアさん

 異説でごめんなさい
「排仏以前は、全島の葬儀及びすべての祭式は皆仏式にて
行い、いちいちその指揮に従って祭事を行った。」とあり
ます。(与論町誌P1233~1237)

 「シンジュ、マンジュ、ケンジュ」の呪文みたいなユン
グトゥは仏教に由来しているのではと思ったところです

千手観音、文殊観音、賢衆(首)のセンジュ、モンジュ、
ケンジュの仏教用語に由来する根拠のあるユンヌンチュの
口承文化の奥の深さと豊かさに感じ入っています

 昔説話と云ったのは、今昔物語集のことでした
自分自身は、祖霊信仰のウヤエーフジ大事です

投稿: サッちゃん | 2008/02/10 20:37

サッちゃんさん

遅くなり、ごめんなさい。
仏教用語に由来を求めるのは面白いですね。

「与論町誌」、読んでみたくなります。

投稿: 喜山 | 2008/02/12 09:00

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