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2008/02/16

『エラブの海』-奄美アマルガムのエロス化

 映画『エラブの海』。その意味は奄美アマルガム、その価値は奄美のエロス化だと思った。

 南の孤島に住む家族四人。孤島の住民はこの四人だけ。そういう設定だが、舞台は沖永良部島だ。それは、作品名もそうだから、観る人は、沖永良部島の映像だと思って見入ったに違いない。
 けれど、南島内部の目線からみれば、ちょっと違う要素が次々に投げ込まれるのに違和感を覚えただろう。突然、沖永良部島にはいないハブが登場し、おあつらえ向きにマングースまで出てきて決闘する。また、一時間かけて舟を漕いでゆく先の本島では、徳之島の闘牛が行われる。バックに流れるのは、奄美大島の島唄だ。パンフレットによれば、八月踊りは奄美大島で、アオウミガメの産卵は屋久島で撮ったものだという。

 ハブが出てくるところでは、沖永良部にハブはいないという半畳を入れたくなる。あるいはわたしの叔父は、少年時の自分の姿を重ねるように観たが、島唄が沖永良部にある琉球音階でないのは、「あれは違う」と漏らしていた。けれど、映像を追うごとに次々に投げ込まれるちょっと違う風物を見ているうちに、半畳はどうでもよくなり、というか、むしろ奄美のアマルガムとして作品を構成していることがわかってくる。そう、これは作品なのだと思うようになる。

 徳之島からは、この作品名を『奄美の海』にしないのかという問題提起もあったという。でも、これは『エラブの海』でいいのだ。この映画は、「奄美の海」ではない。もしそうだとしたら、奄美外に素材を取った事物が不純物のように見えただろう。これは、作品にも出てくる海蛇(うみへび)にちなんだ海蛇神としてのエラブの海のお話なのだ。ゴジラも現れる南の島の像を、奄美に素材を採って描いた作品だった。

◇◆◇

 映画が上映された直後、1960年に島尾敏雄は、『エラブの海』を「記録映画」として捉えて、こう書いている。

 ところで記録映画としての「エラブの海」自体には、私はいくらか不満を述べないわけには行かない。それは製作者が、奄美の(というよりは珊瑚礁地帯としての沖永良部海底の)景観にまずこころを奪われていて、そこに住む人びとの生活にはあまり興味を示していないことに原因しているようだ。

 もちろん、製作の意図が珊瑚の海の方にあったにちがいないが、しかし、学術的な追求を目的とするものでない限り、生活とかかわりあわない風物は印象をうわすべりしてしまうようだ。記録映画が見る者のこころを強くとらえるのは、写される土地とそこに住む人びとの生活が分ちがたく引きあっている状態をありのままにとらえられたときのようだ。「エラブの海」の場合、風物の珍しさが写しとられている割には、島びとの生活がそこに結びついてはこない。それはやはり構成に作意がはいりすぎたからだと思う。奄美では見ることができない海女を設定したうそが、ほかにいくつか挿入した島の生活をも拒否してしまったように思う。追い込みの漁法による魚とりや「ウシトラワシ」の熱狂のキャッチが、この映画のモチーフをはなれて圧倒的に島の生活の地肌を感じさせ、生活のボリュームを与えることができたのは、そこに早急な作意が働かなかったからだと思う。少し誇張して言うと、そこには一つの世界が表現されていた。もしこの二場面を写したときの態度が全体に貫かれていたら、この映画は、全くちがったものになってしまったろうが、それはもっと強い印象を与えそこから先に何ごとかを考えさせた作品になったにちがいないと思う。私はそのことを期待していたのだといえる。奄美の生活が持つ意味、そしてそれが奄美の風物の中でどう展開されるかの一つの解釈が知りたかった。その意味で「エラブの海」は徳之島や大島の風物のつぎ足しに頼らないで永良部の現実を(或いはそれに根ざした風物詩を)描くべきであったように思えてならない。けれど、もしそのことに目をつぶるなら、この「エラブの海」が、奄美をテーマにした先駆的な映画の困難と栄誉とをになう作品であることに賛成しないわけではない。(「『エラブの海』を見て」)

 奄美の価値を本土に伝えたいと孤軍奮闘していた島尾であれば、ここにある苛立ちは真っ当で自然に湧き上がったものだろうと思える。ぼくは、島尾の苛立ちに感謝すらしたくなる。『エラブの海』は、記録映画として、島の人物風物を限りなくリアルに描いてほしかった。島尾の「期待」はぼく自身の期待にも重なるものだ。

 けれどそれから半世紀後近く経った場所にいるぼくたちは、また違った風に言うこともできる。これは、作品なのだ。奄美に素材を採って、ゴジラも現れるという南の海を、当時の日本人の異界を覗きたいという願望に添うようにイメージ化した作品なのだ。そして、そういう意味では偏見もなく空想も抑制された沖永良部的映像だった。

◇◆◇

 この映像作品が、奄美アマルガムとして事実を多少離脱するものであってもそれが不快にならないのは、作品のモチーフが奄美のエロス化にあるからだと思う。実は、投げ込まれる違和物のうち最大のものは、海女さんだった。彼女たちは石川県の本当の海女さんだという。

 映像としての『エラブの海』の最大の魅力は、海の幸をふんだんに湛えた珊瑚礁のシーンだ。そしてそれだけではなく、海女さんがその海を自在に泳ぐシーンだ。海女さんは、ほとんど全裸身で長い時間、海中で珊瑚に添いながら魚を追う。この海の美と海女の美が作品のエロスを担っている。それが、作品を支えていると思うのは、女性の身体美に加えて、彼女たちは石川県の海女さんだけれど、古代の島人はきっとこんな風に海を自在に泳げたのに違いないというリアリティがあるからだ。顔つきは奄美の人ではないけれど、その海に適応した身体性は、まぎれもなくエラブ的だと感じさせる。それが、作品のエロスを支えているのだ。

◇◆◇

 この映画は、記録であるという前に作品として観ることができるし、その視線が必要だとぼくは思う。
 では、この映画は、作品として全体を覆うことができるかといえば、そうは言い切れない。実際、作品と記録が二重写しにやってくる、というような映像であるには違いない。むしろ、『エラブの海』は、記録なのか作品なのか、どちらなのかと問うてみると、島尾がそう捉えたように、「記録」の方に軍配があがるように思える。現にこんどの復刻に当たって、尽力した沖永良部島出身の女性は、沖永良部の自然を見直す機会になってほしいというように、「記録」として紹介している。

 それはこういうことかもしれない。日本人が、異界を覗き込むように、南の海、エラブの島に臨むことが弱まった度合いに応じて、異界を描いた作品としての意味が希薄化されて、「記録」として改めて登場したのだ、と。

 それなら記録としての『エラブの海』の持つ意味は何だろう。復刻を果たした主催者や当時から約半世紀ぶりに改めて作品を観た島の人たちは、昔は自然が豊かだったと感想を述べていた。それは確かにそうだと思うものの、違う印象も過ぎった。

 作中、ナレーションを果たす老翁はこう言う。

 「これは珊瑚の死骸。ここだけどうしてこういうことになるのか、分からない」

 たしかこんなフレーズで言う。

 この映像は、ぼくの生まれる前のものだけれど、その時点で既に珊瑚の死滅はあり、またハブはマングースと闘っていた。そういう意味では、この映像作品以降にやってくる観光化が何をもたらすかについて、それはすでに始まっていることを告げ知らせることになっていると思える。奄美の自然はこのとき既に失われつつあったのだ。この失われつつあるという予兆が、奄美をアマルガム化し、海女さんによる奄美のエロス化のモチーフを生んだのかもしれなかった。

『エラブの海』(紹介ページ)
『エラブの海』(アマゾン)

Photo




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コメント

エラブの海をとりあげてくださりありがとうございます。
私は「エラブの海」に出演した 海女さんの娘です!(妹役だと思います^^;)
母は3年前に亡くなりましたが・・小さな頃から「エラブの海」の面接の時の話や、撮影中の話やスタッフにギターを教えてもらったことなどをきかされました。
私も一度 エラブの海を泳いで見たいと思います。
ちゃんとした 解説ありがとうございました。

投稿: 島津 えりこ | 2014/11/05 00:39

島津さん

おやまあ、娘さんですか。ゆかりのある方からの思いがけないいコメント、嬉しいです。ありがとうございます。ギターは時代を感じさせますね。

ええ、ぜひ沖永良部の海を泳いでみてください。御母さんも喜ばれるでしょう。

与論の海も機会がありましたら。^^

投稿: 喜山 | 2014/11/05 07:15

 おはようございます。
おや、  まー・・・、
娘さんとは・・・。

 最近エラブの海のDVDをみたばかりでした。

  お魚のむれに混じって泳ぐ姿と自分が子供の頃に泳いだ姿をだぶらせたりしました。
確かに エラブの海」は地元にとっては違和感があります。
サンゴ礁の海を大切にしたいとの思いが強くなります。
いろんな方との出会いが
クオリアを通して・・・、
とーとぅがなし。

投稿: 竹 盛窪 | 2014/11/06 08:29

竹さん

おはようございます。世代を継いでコメントいただけるのは嬉しいですね。

また、珊瑚を眺めながら泳げる日がくるといいなと思います。

投稿: 喜山 | 2014/11/06 08:36

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