« たゆたう島、与論島 | トップページ | 映画『めがね』のDVDが出ます »

2008/01/11

松山光秀の「コーラル文化論」

 徳之島の松山光秀は、自身の「コーラル文化論」の由来について、こう書いている。

 私が島の周囲をとり巻くさんご礁の干瀬に関心を持ちち始めたのは、昭和六十二年(一九八七)の秋のことであった。そのとき私は公務出張のために生まれて初めて沖縄の先島諸島を巡っていたのであるが、行く先々でまちがいなく出あうさんご礁の干瀬の海の風景に心惹かれ、あたかも徳之島から陸伝いに歩いて来たような錯覚にとらわれて、しばし我を忘れてしまったのであった。

 あれは私にとっては、まことに不思議な体験であった。その日以来、さんご礁の海の干瀬は、私の頭の中に重たくのしかかってくるようになるのである。さんご礁の海の干瀬とはいったいなんであろうかと。このように思いをめぐらしていくうちに、私は、私たちがかねて琉球文化圏と呼んでいるこの奄美と沖縄地域の島々が、まざれもなくさんご礁の干瀬を共有し、自然的条件のうえにおいてもほとんど共通していることに気づかされたのである。ここで私は、文化を育む基盤は大自然のもたらす条件や恩恵と深くかかわっているという想念にたどりつき、いつの間にか「コーラル文化圏」という言菓を頭の中で造り出したのである。

 ある日、私はこのコーラル文化圏という言葉を琉球文化圏の上に覆いかぷせてみた。すると不思議なことに、いろいろなイメージが広がっていく。以来、私はこのコーラル文化にとりつかれている。学問的にはまだまだ説得力に乏しく、内容も貧弱であるが、平成三年(一九九一年)八月四日に徳之島町亀津で開催された「奄美沖縄民間文芸研究会」 の席上で「コーラル文化を語る」と題して私の基本的な考えを公表したので、それにならってここに拙文を載せることにしたものである。各界の諸賢からご指導ご批判をいただければ幸いである。(『徳之島の民俗』松山光秀)

 松山は、先島諸島の干瀬に触れたとき、「あたかも徳之島から陸伝いに歩いて来たような錯覚にとらわれて」しまったと書くが、この「錯覚」は二つの意味で重要だった。

 ひとつは、この「錯覚」が、徳之島の特徴が、琉球弧全体に連なる自然基盤の共通性であることに気づいたことだ。この認識をもとに、松山のコーラル文化論は、徳之島民俗論ではなく琉球弧論として広がる契機を持った。この契機は、いまにいたるもわたしたちに自明のものとなったとは言えない。そんな先見性の輝きを失っていない。

 そしてもうひとつは、まるで夢幻に誘われるように、「我を忘れて」錯覚に浸れる資質は、地元の民俗を掘り下げるのに最適なものだった。柳田國男の民俗学の象徴であり、また吉本隆明の『共同幻想論』が原典としたのは、柳田の『遠野物語』だが、その『遠野物語』が民俗学の資料たるのに、物語の語り手、佐々木喜善の、やはり松山と同じような、錯覚に入りやすい資質は不可欠だった。その意味では、徳之島民俗は、松山に担われるべくして担われたのである。
 
 ぼくはまた、考えてきた与論のイノー・ブルー論が、松山の「コーラル文化論」を踏まえると、琉球弧論としても展開できる可能性を感じることができた。ぼくは、そうしようと思っている。

 今夜、高梨さんの『奄美諸島史の憂鬱』で、松山光秀さんの訃報を知った。ぼくは、親交があったわけでも、『徳之島の民俗』以上に知るわけでもないから、これ以上のことは書けない。しかし、松山さんの「コーラル文化論」の射程を思うとき、この仕事を引き継ぎたいとここに記しておきたい。ほんとうは去年、展開するはずだったものだ。人は自分の都合に合わせて待ってくれるわけではない。与論の自然も人もいつまでも無限にあると思ってはいけないのかもしれない。いま、あるときこそが全てなのだ。そういう受け取りがやってくる。
 
 奄美民俗学の重心、松山光秀さん。安らかに。


 

|

« たゆたう島、与論島 | トップページ | 映画『めがね』のDVDが出ます »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 松山光秀の「コーラル文化論」:

« たゆたう島、与論島 | トップページ | 映画『めがね』のDVDが出ます »