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2008/01/15

『めがね』は島尾敏雄エッセイの映画化!?

 tssune3さんがブログ「Optimistic」で、こう書かれていてはっとした。

まさに、「めがね」はそれを映像化した映画と感じた。

 「それ」というのは、島尾敏雄が南島に感じる「やわらかさ」、本土の「かたさ」に対して置かれた「やわらかさ」のことだ。

 ぼくは琉球弧という言葉を使っています。それは琉球という言葉が、奄美の人、沖縄の人にかなり抵抗があるんです。ただ他に言いようがなくて、琉球そのままでもなんなので、まあ琉球孤という地理学的な言葉を援用しています。弧という字もかっこうがいいしあの発音もいいでしょう。それで琉球弧というのを使って、奄美からずっと沖縄、先島までを含めた言葉にしているのです。この琉球弧と東北が、何かいろんな点で似ています。

 政治、行政って言うのかなあ、どっちも、中央権力に与っていない地方ですね。琉球弧の方は、沖縄が小さな国家を作りましたが、でも日本全体からみると、やはり辺境で疎外されて、いつも忘れられてるという形です。東北はというと、これはいつも征伐されている。度々の蝦夷征伐とか、戊辰の役とか、そういうふうにされて来ているところが、何かとても似ているような気がしてしかたないのです。

 それとは別ですけど、ぼくは日本の中に、ある固さが感じられて、それから抜け出したいというような気がしている。どういう形だといわれると、これもちょっと困るんですけどね。ところが奄美に行ったら、本土でいやだと思っていたそういう固さがないんです。さっきも、あいまいにやわらかさなんて言いましたけども、それは何んだろうかと思ったわけです。

 簡単に日本じゃないとは言いきれない。本土には無いものであるのに、ぼくの感じではまったく日本なんですから、日本以外の何ものでもないという感じがしたわけです。まあ別にどうしても日本である必要もないんですが、感じとしてはどうしても日本です。そうすると、表面的には隠れているようにみえる、日本が持っているもう一つの面があるんじゃないかと思ったんです。で、その両をヤポネシアと呼んだわけなんです。
                                                  (「回想の想念・ヤポネシア」島尾敏雄)

 そうか。tssune3さんに言われると、なるほどと思えるところがある。
 もしそうだとしたら、映画『めがね』は、島尾敏雄のヤポネシア論、エッセイを映画化したということになる。そしてこのとき、与論は、琉球弧のある象徴を担ったということでもあるわけだ。これは愉快な連想だ。


 はっとする視点をありがとうございます。山をこよなく愛するtssune3さん。



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コメント

 取り上げていただき恐縮です。ありがとうございます。しかし、本当にそう思うのです。そして、そういう思いで「めがね」を観ると、より一層、奥深い楽しさが伝わってきます。

投稿: tssune3 | 2008/01/23 12:55

こちらこそ、南の島へ優しい眼差しを投げかけてくださり、ありがとうございます。

tssune3さんの、海も山も同時に視野に収める視点の幅広さがすごいなぁと思います。

投稿: 喜山 | 2008/01/23 23:10

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