神聖なお酒
修三兄さんが、有泉を「神聖なお酒」と書いていて、腑に落ちることがあった。
※ 「有泉ときび酢」
ぼくは「与論献捧」が好きではない。というか、与論献捧の酒量選択と一巡限定を主張している。それが、ユンヌンチュが大人になる条件だと思っている。
そのせいか、「有泉」と聞いて、手放しに嬉しい気持ちにならない。人に勧める気にならない。そんな気分だった。でも、どういうわけ口にしてしまう。飲んでしまう。
そりゃあやっぱり故郷の酒だからだろうと、適当に思ってきたのだが、修三兄さんによれば、
私にとりまして有泉は,神聖なお酒のイメージです。と言いますのは,小さい頃,お正月やお祝い,お祭りのときに御神酒の代わりに口に含んだお酒が有泉だからです。
ダンジュ。ガシュクトゥドゥエー。
これはぼくも思い当たる。パーパー(祖母)は、いつもそうしていた。
そうか、「有泉」はそんな厳かな場面の記憶と結びついている。それで、何となく口にしてしまうのだ。
思い切り合点がいってしまった。
とはいえ、いま手元にない。今度、飲む機会には、あの、幸せだった少年の正月の日のことを思い出して厳かな気持ちで飲んでみよう。
◇◆◇
というわけで、新年が明けました。喪中につき、挨拶は控えさせていただきますが、みなさまが幸多い一年でありますよう、お祈りいたします。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
クオリアさん
賀状をやめてから5年目になります
多分、お世話になった方が「去り行くもの日々に疎し」
と思っていらっしゃるかと、観念しています
どっかで生きているはずだと思っていただいている方が
いれば、と期待もしてはいませんが・・・
大晦日から元旦は、雪が風に吹かれていました
年越しのそばとミシジマイがわが家の習慣です
婿どのは、そばはどうでもよくてミシジマイだけを所望
します
ところで、「ミシジマイ」とは?
婿どのは、何で与論の人はミシジマイを食べるのですか
?と訊ねます
ふだんは食べれないのを、正月だけ贅沢に食べるのです
と応えて納得してくれます
「ミシジマイ」と云う意味は?
美味い味がするから「ミシジマイ」なのだといえば婿は
納得したようでしたが、まずそんな質問などはしてくれ
ません
ティダの南中する時がアッシー土器(時)ですから、
午前零時のティダは北中しているはずです
ガシガ、北中という言葉は、聞いたことはありません
「ミシジ」は、ユンヌ言葉では「北時」です
大晦日のミシジマイは、その午前零時に食べる年に一度
のマサムヌなのです
「無学日記」に読み取ることのできるユンヌフトゥバ
の凄さは・・・ドゥッチュイムイゲーラ?
投稿: サッちゃん | 2008/01/02 01:14
サッちゃんさん
ミシジマイ。たしかにごちそうでした。
ガッシュルフトゥ、ウップーサ、ハタティタバーリ。
投稿: 喜山 | 2008/01/02 21:53
明けましておめでとうございます。
壁画、見ましたよ。
品覇の近くの樹上家屋のあるお宅で・・。
私の家にも欲しい 作風でうらやましく思いました。
ミシジマイは大晦日にいただきました。
うんにぃーまい というのもあるのですよ。
ななくさがゆの代りだろうかな?
芋ほりしなくては・・・。
今年もよろしく。
投稿: awamorikubo | 2008/01/05 05:31
awamorikuboさん
保育園の先生のアウトラインだそうです。
うらやましい限り。
こんな生活ってあるんですよね。
投稿: 喜山 | 2008/01/05 21:55