映画『めがね』への接近 2007
観られる与論島
2007年、与論島は、映像作品として観られるという経験をした。これは、与論島にとって初経験だったと思う。映像としてなら、同じく今年あった「新日本紀行」もあるが、ドキュメンタリーではなく、作品の舞台として撮られたのは初めてだった。
ところで、本当に重要なのは、「初」経験のことではなく、撮られたのは作品舞台としての与論島であり、架空の物語のなかに登場する、「どこかの南の島」であるという設定にもかかわらず、描かれていたのがある意味で与論島そのものであるという点だった。
「どこかの南の島」という設定が、場所が定かでなく浮遊している現実の与論島のイメージ・ポジションに重なること。そして映像作品として描かれているものの内実が、与論島でしか味わえない与論島クオリアそのものであったこと。この二つの点から、映画『めがね』は、作品を通じて与論島そのものと出逢うという達成をしている。それは、登山口こそ違え、高嶺剛監督が、映画『ウンタマギルー』で「沖縄・琉球」に対してi行ったことと同じだと思えた。
春以降、映画『めがね』の公開前と以降のトピックスをブログで追えたのは幸運だった。数えてみると、ぼくは、34の記事を書いている。まるで追っかけだ。
作品の公開後、この映画に寄せられる声を読むのは楽しい。
ぼくが読んだ範囲で心に残った感想記事を、現在から過去に遡って紹介したい。
毎朝、枕元にもたいさんが居るのはイヤだけど、あの、自転車で 迎えに来てくれたもたいさんは、女神かと思った。
タエコの葛藤のような、なかじまさんの言葉がリアルです。
サクラのイラストも趣があります。
与論島に行ったことある人だったら、すぐにわかるよね。 与論しかあれへん。
沖永良部在住のめぐみさんのコメントが、とても印象的。とてもいい。
kokorokokoroさんは、もたいまさこさんがつけていたマフラーを、お手製で再現したわけです。すごいことです。
「めがね」とは、「見えないものを見えるようにするもの」ではなくって 「めがねでしか見えないものを見えるようにするもの」なのだ
paris-rabbit-sanさんの、『めがね』の「めがね」理解が、味わい深い。
好きなものに自信を持っていいんだってことでした
ナオさんの、この素直な受け取り方に心動かされます。
時間をフィルムに定着させるとこんな映画になるんだろう、というのが実感。 「かもめ食堂」より、より時間や空気に寄っていて、メッセージを探す煩わしさ もない(メッセージはあるのだけど、気がつかないふりをしたくなる)。
鑑賞時の気分を、さとなおさんはよく言い当てています。
与論島で撮影されているので、海がすごくきれいです いかにも南のリゾートの海っぽくなくていいです
「いかにも南のリゾートの海っぽくなくいいい」。kiyokiyoさんのこのひと言、最大の褒め言葉です。
映画『めがね』を真っ芯で捉えた、あんとに庵さんの本質的な映画評です。
めぐろのY子さんのウェブコミック?が楽しい。
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コメント
めぐろのY子さん 楽しかった。
又よろしく。
見えなかったものをみる・。
見たい物を見るために・・・?
そうなんです。
色んなめがねが 必要です。
投稿: awamorikubo | 2007/12/27 07:42
awamorikuboさん
めがねの与論上映、もうありましたか?
投稿: 喜山 | 2007/12/28 08:57