離島発 生き残るための10の戦略
島根県の隠岐、中ノ島の海士(あま)の町長、山内道雄の書いた『離島発 生き残るための10の戦略』は、与論島のために書かれたような内容だった。
海士(あま)は、島根県の離島。超過疎ともいうべき人口減少に悩みながら、市町村合併では退路を断って、単独の道を選ぶ。その後、町は収入役の廃止や給与カットで身を削る改革に乗り出す一方、「島をまるごと」ブランド化構想を打ち立てて、商品化の実績を作りつつある。
与論島は、これからどうしていくべきか。海士(あま)の先行事例は、与論シミュレーションとしても読むことができるだろう。目次をゆっくり眺めてほしい。
島が消える~海士町の現状
夕張は対岸の火事ではない/後鳥羽上皇の島/「島」と「本土」/
超過疎、超少子化、超高齢化/公共事業で生かされてきた島/
財政再建団体転落の危機
生き残るための戦略
其の1 あえて単独での道を選ぶ
再編ブームの中で/離島を巻き込む「大合併の嵐」/見えてこない合併のメリット
/文化の違いを無視した合併には無理がある/
この島は「俺の島」だという思いこそ大切/あえて退路を断って自立の道へ
其の2 民間の感覚と発想で危機に対する
町政運営は企業経営である/「やってやる」から「やらせていただく」へ/第
三セクター事業で感じた議会への苛立ち/味方は思わぬところにいる/
「お役所仕事」では島は救えない/地縁・血縁選挙を否定した町民の選択
其の3 意思は言葉ではなく行動で示す
「先憂後楽」の精神で仕事に向かう/スローガンだけでは人は動かない/
職員に明確なメッセージを送る/管理職の会議は時間外に
其の4 「守り」と「攻め」の両面作戦
まずは徹底した「守り」から/自らの身を削らない改革は支持されない/
禁断の給与カットは“未来への投資”/町民と危機感を共有化する/
「明日は今日よりいい」と思えるように
其の5 「島をまるごとブランド化」戦略
日分を知る、自分の武器を知る/生き残りのキーはク外貨獲得/
「総合デパート・海士」を作る/離島のハンディキャップ/
海産物の新たな展開/新たなビジネスが変えた生産者の意識/
垣が結ぶ島の産物
其の6 誰もができないと思ったことをやる
島の障れた名産品/建設業から畜産業へ/市場関係者から受けた指摘/
東京へ向かえ/島で隠岐牛を食べる
其の7 人が変われば島は変わる
「島が生き残る」とは・人が島で暮らすこと/Uターン・Iターンを受け入れるために
/UIターン受け入れが抱えるジレンマ/UIターン者が島に新たな刺激を与える
/働く意欲のある女性を活写る/子どもが元気を運んできた
其の8 活性化の源は「交流」
「若者」「馬鹿者」「よそ者」がいれば町は動く/そもそも私が「よそ者」だった/
外の目によって自らを知る/指示はひとつ、「自由にやってくれ」/
外部との交流から「自立する人」「自立できる人」を作る/
思惑を超えて動き出す交流事業/応援団を作る周囲が勝手に動き出せば成功
其の9 答えは常に現場にある
すべてはお客さんが教えてくれる/コンサルタントを使わない理由/
日本-安い給料で日本l働く職員/青年団が育てたバイタリティ/
「信頼できたから、この島に来た」
其の10 ハンディキャップをアドバンテージに
発想次第で局面はガラリと変わる/隠岐島前高校を売り出す/国境の島/
持てる能力をいっぱいに使う人間が輝く
最後尾から最先端へ~あとがきにかえて
これを見るだけで、与論と似ていることも分かるけれど、与論の先を行っていることも分かる。島の人にぜひ読んでほしい一冊だ。
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コメント
クオリアさん
1~4までは ヤクバンチュ(役場人間)の話ですね
まさに ニャマヌ ユンヌは(だけではないのでしょうが)
夕張ではないのかと 思えます
石炭がなくなった 北海道のまち、むらの再生や如何に?
隠岐は、 百人一首の後鳥羽上皇が悶死した島
境港から時速40マイル(70キロメートル)の船であっと云う間もなくいける島ですよね
昔はテンマ船でも漕ぎ出す離れ島でも、ユンヌに比べればずいぶんとでかい島です
牛も大きいし、闘牛も徳之島並みに迫力もあるしですから…
離島特別補助、交付金は減るだけ、石油高で外貨も減る見通し、特産品も思うに任せず苦労のし
続け…はて、さてと思案投げ首は同じことのよう
ですね
夕張と同じように、多分、いやまちがいなく近
未来には役場職員の給料は半減、退職金を払う財
源は逆立ちしてもないなどと、アーア、悪い夢は
見たくないものである
かりに、それでも、ワーユンヌの島に残るつも
りの役場職員の気構えがあれば1~4までの課題
はクリアーできたも同然ですよね
6から先は、論じ倒れしそうなので、どうか、
どうかデール 話はここまでにします
別に、与論島や隠岐島だけのこととは思えません
投稿: サッちゃん | 2007/12/09 22:54
サッちゃんさん。
与論だけでの話ではににしても、やっぱり与論が気になりますね。(^^;)
隠岐の話が面白かったのは、5以降もヤクバンチュが関与してやっていることでした。でも、小さな島ですから、何かやろうとすれば一体になってやってるんだと思います。
与論が変わる力になるのは、ネット(ウェブ)を生かすことだと思っています。
投稿: 喜山 | 2007/12/09 23:20
初めまして。種子島の貝文化。で辿りつくことができた者です。まだ少しですが古代の人達、貝への想いに触れさせていただいております。貝を焼くのは太陽を通すこと。貝人になるため?!うれしい大衝撃でした。桜島、西郷さんの解釈にもすばらしいなと感じました。私は20年前、6000年前の海からやってきたという貝の声伝説に触れたことがきっかけで貝を磨くようになりました。20年たって、喜界島の大噴火で埋もれてしまった貝文化、貝文明をKAIの磨ほう使い村(海からの贈りものに磨きをかけ、世の人を笑顔にする笑品づくり村)を現代に甦らせたい。貝ルネッサンスしたいと感じていましたので、クオリアさま、海士皆さまから大いに学んえいこうと元気をもらいました。長々となりました。これからの日々つうりも楽しみにしています。PS:20年前、貝の伝説を聞かせてくださった方(今は70歳)から一冊の本をすすめられました。アイランドでした。この時もいたく感動し与論島にでかけさせてもらいました。またでかけたいと想っています。
投稿: とな貝 | 2018/01/17 06:40
とな貝さま
ほとんど備忘メモと化している記事を読んでくださり、ありがとうございます。貝は奥深くてわくわくします。
伝説もお聞きしたいものです。与論にも行ってくださり、感謝です。
投稿: 喜山 | 2018/01/19 06:47