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2007/12/15

神アシャギと「足一騰宮」

 さて、伊波氏が提出している「足一騰宮(あしひとつあがりのみや)」とは、神武天皇東征の折、豊国(後の豊前・豊後、今の大分県のあたり)の宇佐に到った時、土人のウサツヒコとウサツヒメ二人が天皇に卸饗するために作った宮のことであるが、これとアシアゲの縁故を説く氏の念頭には、九州あたりから農耕文化をもった一族が奄美諸島を経て沖縄に定着したとする「日琉基層文化同一論」とか「海部族の南下説」などがあることはいうまでもない。

 次に仲松・外聞両氏の機能説についてであるが、仲松氏のあげる「アシー」には神供の義は全くないようであるし、外聞氏の「あさ(祖先神)揚げ」説は示唆に富むものとはいえ、やや観念的な呼称のようにも思える。沖縄では、稲穂(穎稲)を収納する高倉は、柱の数に応じて四ツ股倉・八ツ股倉などと、視覚的な形態に即した名称がつけられていることは参考になるかもしれない。
 軒の低い伏屋のような神アシャゲの語源としては、むしろ「足揚げ」形態説の方に相応の説得力があるように思うが、どうであろうか。
『祭儀の空間―その民俗現象の諸相と原型』池浩三)

 ぼくも、「神アシャギ」は、神武東征神話に出てくる饗宴のための宮殿、「足一騰宮(あしひとつあがりのみや)」と同型のものを指していると思う。

 そして、ここでの文脈が敷いているところに従えば、九州から南下した稲作農耕族が、「足一騰宮(あしひとつあがりのみや)」を南島に輸入し、三母音化の世界のなかで、「神アシャギ」に変化ということになる。

 しかし、ぼくたちはここでも、必ずしもこの文脈に固定化して考える必要はないと思える。これに従うと、まるで稲作農耕族の南下以前には、神アシャギは存在しなかったかのような印象を受けるが、神アシャギは、御獄(ウタキ)の発祥とともにあると見做すのが妥当だと思う。ただ、その名づけには歴史的な変遷を想定することができる。その文脈のなかで、アシャギが北上し、五母音の稲作農耕族によって「足揚げ」と呼ばれるようになったことも想定のなかに入れていいはずなのだ。

 「日琉基層文化同一論」や「海部族の南下説」は、多様な混合と交流のなかで形成された民族的な起源を、あるひとつの流れの中に封じ込めようとする窮屈さをどうしても免れがたいものとして持っている。


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コメント

 シヌグ、神アシャギについては、諸説紛々の
ようですね

 隔年毎か、ダークラ(集落の収穫物貯蔵庫)
の屋根を葦(芦、蘆、・・・薄)で葺きあげる
集落総出の行事を済ませてからの神への祭事が
「神アシャギ」なのかと考えるのは、異説過ぎ
るかもしれませんね
いつか云ったかと思いますが、ダークラは駄蔵
のことではないかと考えたり・・・

 雪国・白川郷の萱葺きの壮大さに比べて規模
の大小はどうにもなりませんが、事の大事さは
何も変わらないと思います

 「足戸」が、「足に踏みつけられる戸のイメ
ージがある」として「朝戸」に変わったとか。
ユンヌの歴史はそんなに浅いものかとがっかり
もします。(与論町誌P286、P1409)
「あしと」に云いなれているからだけではなく
せめて「芦戸」にでもすればいいのに
 与論に居る時に、「あしと」と云って何度も
訂正させられました

 夕されば 門田の稲葉おとずれて 芦のまろ
やに 秋風ぞ吹く(金葉集)
小倉百人一首の大納言経信の歌です

 葦は、「草冠の下に吾(人)が居て井戸があ
る」と書かれています
足は、ユンヌ言葉で「節間の萩」に似ているの
かハギ(脛)→「パギ」と云います

 麦屋集落の隣に芦戸集落が並んでいるという
姿は自然でもあり、風情もあれば由緒ある地名
にも思えます

 蘆の屋の灘の塩焼きいとまなみ 黄櫛(つげ)
の小櫛もささずに来にけり(伊勢物語)
海女の恋人への素朴な思いが美しく、ちゅら歌
です

「芦原の瑞穂の国」(万葉集4094)のこと
稲麦の藁や萱(ススキ、スゲ、茅)で葺いた家
に住んでいた時代の話です
稲麦の茎で草鞋を編み、縄を綯い、屋根を葺き
泥に藁を刻んだ壁・・・暮らしを助けていた
台風の来るたびに吹き飛ばされながらでしょう
が、めげずおくせず築いた島の歴史・・・
学ぶことが多くて、余生でどんだけわかるので
しょうか? ウヤセンゾヤ ウトゥルシャイ

 神アシャギとは、外れすぎましたね
盛窪さんとは、そんな話を酔いながらしていた
ような覚えが、幽かにあります


投稿: サッちゃん | 2007/12/16 02:00

サッちゃんさん。

「麦屋集落の隣に芦戸集落が並んでいるという姿は自然でもあり、風情もあれば由緒ある」というのは、素敵ですね。

ぼくも与論の歴史は浅い印象があって、琉球の南の方へばかり関心を寄せたことがありますが、そんなことはない、ユンヌにも探るべき深さがあると、感じられることがあると嬉しいです。

わざわざ、自分たちの歴史を浅くすくうことはないですよね。

投稿: 喜山 | 2007/12/16 08:42

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