イザイホーの神アシャギ
続いて、イザイホーの神アシャギを見てみる。長くなるけれど、記録自体が大切に思えるので、そのプロセスを引用しておく。
事例十 沖縄のイザイホー祭
沖縄知念村久高島では、十二年目ごとの午年旧十一月十五日から五日間にわたってイザイホーとよばれる神祭がある。この島の祭祀組織には男子と女子の組織があるが、イザイホーに関係があるのは女子の祭祀組織である。最上位に外聞ノロ、久高ノロがおり、その下にナンチュ (祭りの時雑用を受けもつ、三十~四一歳)、ヤジグ(祭りの時の世話役・進行係、四二~五三歳)、ウンサグ(神酒を接待する役、五四~六一歳)、タムト(祭りの時白衣をつけてノロ・掟 神の供をする、六一~七十歳)などの神人がいる。イザイホーの神祭の本質は、第一には三十歳を迎えた島の全女性に神人としての資格を与えるための儀式、いわば巫女への入社儀式であるが、通過儀礼としての成女式の意味もある。第二にはニライの神という来訪神を迎えて歓待し、その神の祝福を受け、次いで神人共食を行なうための祭式儀礼であるという。祭りの前日までに御殿庭(久高殿)という祭場をはじめ、ノロヤー(祝女屋)、根所、イザイ山の七ツ家(イザイ屋ともいう)、沐浴するイザイ川などに白砂を敷きつめて清める。御殿庭の神アサギは間口・奥行とも四・五メートル、二つの出入口以外はすべて柱と貫で構成されている建物であるが、神祭時には。クバの葉で壁を成し、内部の土間には白砂をまき、その上に竹を編んだムシロを敷きつめる。神人たちが渡る七ツ橋(一メートル×〇・七メートルのグパの枝を梯子に組んだもの)をこの神アサギの入口の地面に半ば砂に埋めてかけられる。はじめてこの儀式に参加するナンチュたちが三日間お籠りする七ツ家は、イザイ山の中に、一軒(二メートル×五メートル)を三区画にしたもの二棟と、ほかに小さなもの一棟、いずれもクバの葉で葺いた片割れの掘立小屋が男手を借りて建てられる。新参のナンチュは「七ツ橋渡り」をし、七ツ家で三日間お寵りをする。その間、毎晩子の刻から寅の刻までオモロを唄い、毎朝早くイザイ川に行って沐浴する。厳しい物忌みの生活を経てナンチュになるのだという。
第一日、ユクネーガミアシピ(夕神遊び)といっている。夕闇せまる頃、洗い髪をたらし、白衣をつけたナンチュと巻髪に自鉢巻をしたヤジグが、外間ノロ家、久高ノロ家から掟神の先導で、エーファィ、エーファィの掛け声で、御殿庭へ駆け足でやってくる。ここで神アサギの前の七ツ橋をナンチュが七回往復して、ヤジグ共々神アサギの中に入り、グバ戸を閉じてオモロ(神歌)が謡われる。それから、ナンチュは神アサギの後の戸を出てイザイ山の七ツ家に行く。この夜から三日間、夜はオモロを唱し、朝は沐浴潔斎する。
第二日、朝神遊びという。山籠りしていたナンチュがノロ・掟神・ヤジグの先導で七ツ家から御殿庭に静かに列をなして出て来て、庭でノロ・掟神を中にして、まだ髪をたらしたままのナンチュ、その外側をヤジグが輪になり、静かに左右に手を合わせる動作を繰り返して円陣舞踊を行なう。
第三日、花さし遊びという。昨日まで洗い髪をたらしていたナンチュたちが、この日になると髪を結い、自鉢巻をし、色紙で作ったイザイ花を前髪に飾って登場する。この日の儀礼はいよいよナンチュ(神人)になる資格を認定する儀式である。その資格を与える司祭者は島の根人とノロである。この日ナンチュは外聞ノロからシュジィ(米の粉団子)を額と両頬に押され、また外間根人から朱印をおされる。第四日、朝、御殿庭でアクリヤーの綱引きという行事がある。これは綱引きではなく、実は船漕ぎの神事であるという。午後は各ナンチュの家をノロが廻り、表座敷でその家のナンチュとヰキー(兄弟)とを対座させ、神酒を入れた椀をとりかわす。この時、ナンチュが兄弟を守護するオナリ神の資格をもって訪れたことを祝福するオモロが唱えられる。そのあと、外聞の殿といわれる所と御殿庭で「桶まわり」の儀式がある。ウンサク(神酒)を入れた桶のまわりを、ノロ・掟神・ヤジグ・ナンチュが二重の輪をつくって踊りながら神歌をうたう。舞踊が終ると、神酒を神前に供え、神人や村人にもふるまう。
第五日、祭りの後始末と後宴の行事がある。
(『祭儀の空間―その民俗現象の諸相と原型』池浩三)
このイザイホーの記述を読むと、吉本隆明の『共同幻想論』の言葉が思い出される。
この<イザイホウ>の神事が島の女性だけの共同祭儀であるとともに、この祭儀に登場する男性が<夫>ではなく<兄弟>であることに注意すべきである。そして女たちがカトリックの受洗のように額と両頬に朱印をつけてもらうのは神人からであり、そのつぎに<兄弟>がつくった団子で印しなつけてもらうという儀式がおこなわれるのは、神の託宣を女たちが〈兄弟〉とむすびつけるものとかんがえられ、これが何を意味する擬定行為かはわからないとしても、共同祭儀の<姉妹>から<兄弟>への授受を物語っていることはほぼあきらかであろう。久高島はわが南島における神の降臨した最初の島として信仰されている島である。ここでは古代、男たちは漁蹄にしたがい、女たちは雑穀をつくっていた。この条件は規模はべつにしても、わが列島のすべての地域において古代にはほとんど変りがないものであったと推測することができる。もちろん<イザイホウ>の神事の形式は、鳥越憲三郎が採取しているそこで和唱される神歌から判断してもかなり新しい時代に再編成されたものであることは明瞭だが、この神事の原型にむかって時代的に遡行するとき、わが列島における<母系>制社会のありかたの原像をかなりな程度に象徴しているとかんがえることができる。すくなくとも神事自体の性格から、水田稲作が定着する以前の時代の<共同幻想>と(対幻想)との同致するへ<母系>制社会の遺制を想定することはできる。この(母系)制ほ、ある地域では(母権)制として結晶したかもしれない。なぜならば、<イザイホウ> の女性だけがかならず通過する儀式は、いわば共同祭儀であり、その資格は共同規範としての性格をもっているから、もし儀式を通過した巫女たちの<兄弟>が、部族において現世的な支配権をもつ条件を準備していると仮定すれば、巫女たちの共同規範はすぐに現実的な政治的強力へと転化することができるからだ。
祭儀を行われているそのままに受け取るのではなく、そのなかに時間を見るという視線。この視線は、シヌグやウンジャミ、他の祭儀を見る上でも欠かせない。そして、神アシャギは、イザイホーにおいては、はっきりと祭祀場としての役割を担っている。御獄(ウタキ)のなかの御獄(ウタキ)なのだ。
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