永久凍土が溶け出すように
心の傷は治すべきか
心の傷という言葉をよく耳にします。
その傷の多くは肩凝りみたいなもので、そういう概念が出来たから気にしているのではないかという気もします。どこまで本気なのかなと思うのです。
私はよく父親の死について話をします。父親が死んだときの経験からあいさつができない子供になったという話です。要するに幼少期の経験からその後の自分の行動が変わっていった。そういうのが今風に言えば、心の傷、トラウマということなのでしょう。
それは単に何かつらい経験があったからトラウマが残ったということではありません。トラウマを抱えていること自体にきちんと理由があったのです。簡単に言えば、父親に「さようなら」と言ったらそれきり会えなくなるのではないか、父親を死なせるのではないかという気持ちがあったのです。その次には人にあいさつをすると、その人を死なせるのではないかという怖れが心の中に生まれたのです。無茶苦茶な論理ではありますが、そういう心理になったのです。こういうトラウマを抱えるということは、だれにでもあることです。それがあるから生きていけないというものではありませんし、いつかは自分で気づくものです。
(『超バカの壁』養老猛司)
養老さんが父の死について、詳しく書いていたのはどの本だったか忘れてしまったので、手元にある本から引用した。たしか、養老さんは、自分のトラウマについて、地下鉄で突然、涙が流れてきた、と、そういう気づき方だったと書いていた。
この引用のようなことに気づくことがぼくにもあった。
ぼくは、少年期に与論を離れたことで、その離れ方が痛切だったことで、友達を作りにくい人間になってしまった。仲良くなることも心を開くこともできるけれど、それが永続するのをどこかで怖れている、そんな感じだ。
養老さんと同じ言い方をすれば、友達を作ると与論とのつながりが切れてしまうのではないか。そんな風に感じていたようなのだ。もちろん、養老さんが言うように、それは「無茶苦茶な論理」だけれど、これから腐れ縁にもなっていくだろう友達と離ればなれにならなければならなかった経験を、ぼくはそんな風に受け取ったようなのだ。
遅ればせながら、ぼくもそのことに気づいた。友達と離れた辛さが倒錯して、与論で叶えたかったのに他の土地で叶えたくないという気持ちになり、それが昂じて、友達を作ると与論と切れるという怖れを抱くようになったのだ、と。
こんなことを書くのは、他愛もない傷に過ぎないけれど、そのことに気づいたのはブログのおかげだと思うからだ。ブログを書くことで、ユンヌンチュや与論に縁を持つ人、奄美や琉球に心を寄せる人と知り合い、親しくなることがあって、友人を持つことと、与論とつながることとは何の関係もない、むしろ、与論つながりで友人ができる。そんな経験をすることができた。ぼくはある時、永久凍土が溶け出すように、何かがほどけた気がしたのだ。
このブログを読んでくれる人、コメントを残してくれる人に心から感謝する所以だ。
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