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2007/12/23

伊是名のシヌグ

 伊是名のシヌグは、安田のシヌグとも与論のシヌグともずいぶん違う。この三者のシヌグは、地域として近接しているにもかかわらず、似ていないのだ。

事例二一 沖縄伊是名島のシヌグ
 沖縄北部伊是名島では旧七月十八日に行なわれるが、『琉球国由来記』には、「七月、島中ニテ日撰仕申。  遊び一日ノ事 右、アクマハライトテ、男童十人程、アマミ壱人、衣桐袴着テ、白サジ、シレタレ、結ビシテ、手々こ、棒ツキ、アマミ人、並、其日ノ、年ナフリノ人、弓矢持、先立仕、オナヂャライハウ、エイヤイハウ、ト唱テ、家々二入り、又島ノニシ崎マデ行テ、ネズミヲ取り、年ナフリ持タル、矢ノサキアテ、海二人レ捨テ、村二帰り、一所に寄合、神酒持寄、祝申也。」とある。

 当日、男女神人は、諸兄・仲田・伊是名・勢理客の順に各字のアサギで火の神祭を行なう。伊是名島では、神アサギは各字の根所の屋敷内にあって、地アサギとよんでいる。また、これとは別に根所の住居に隣接して大抵火の神を祀っているアサギがある。各字のアサギとはそれのことで、例えば仲田のアサギは〝仲田・ヌ・アサギ″とよんで、屋号にもなっている。

 火の神祭と並行して、シヌグの年齢に当った男児は、白のドンジに白サジ・シンタン (白衣・白鉢巻)を結び、棒をついて各字のアサギに集合し、男の神人が弓矢を持ち先に立って、伊是名・仲田・諸兄は伊是名城に、勢理客は天城に連れて行く。仲田の例では、伊是名の大城のイビ(拝所)へ、男神人が九歳から十五ヤネガク歳までの男の子を連れて行く。ここでウンジャミ祭の折にこしらえておいた屋根形を取り壊す。帰途、子供たちは各組ごとに分れ、それぞれ受け持ち区域の家々を訪れる。「ウナジャーレー、ホーホー、ヒヌネー、チントゥク、トゥイトゥイ」と唱えながら、二番座・三番座・台所と家の中を手に持った樺で叩き廻る。この所作を鼠除けだといい、子供たちが訪れない家は、鼠に畑を荒されると伝えられている。また、子供たちは一度この行事に参加すると健康になるといわれ、三カ年はひき続いて出なければならない。伊是名部落では、子供たちが鼠を一匹つかまえて、阿檀の木で作った船に乗せて海へ流している。こうした厄払いが済んだら、所定の場所で水に浸って身を浄め、アサギに帰って昼食をする。一休みの後、米粟渡りのお粥の直会をして、男神大の音頭で手拍子に合せて、ビルマオナヂャレー、ハウハウ、ヒーマーネーハウハウを合唱して終わる。
『祭儀の空間―その民俗現象の諸相と原型』池浩三)

 伊是名のシヌグは、根所の神アシャギで行われる点、祭儀の新しさを感じさせる。内容が鼠祓いだという点も、稲作農耕の成立を背景に思わせる。
 ところで鼠は、単なる忌み嫌われる生きものではない。柳田國男は「鼠の浄土」で書いている。

 奄美大島の農民たちが、是ほどにもひどい毎年の害に苦しみながら、なお鼠に対して尊敬の意を失わず、かなしの語をつけてこれを呼ぶばかりか、一年のうちに少なくとも一日、通例は旧八月以後の甲子の日をもって、鼠のための物忌の日とし、鼠という語をロにしないのみか、その姿を見れば害があると信じて、終日野原や畠へも出ずにいたというのは、何か梶原によくよくの理由があって、それがもう記憶の外になりかかっているのである。かつては鼠が神山の茂みに住んで、村の生業を荒さずにおられた時代が、あったことも考えられるが、そういう平和な対立の間からは、なお是だけの畏敬の念は生まれなかったろう。ハブという毒蛇の場合にも見られるように、むしろ、稀々に意外な暴威を振うのを実験した者が、これを神秘の力に帰するようになったので、他所の飢えたる鼠の群が、海を渡って入ってくる時などに、とくにこの信仰は伸び広がったのではないかと思う。

 昇曙夢さんの『大奄美史』に、大島では鼠も一つの神がなしで、テルコ神の使者だとあるのは、多分近頃までそういう言い伝えの、まだ残っている村があったことを意味するものであろう。新たな文化が普及する前までは、この島にはナルコテルコという神を、毎年二月に御迎え申し四月に御送り申す厳粛な祭があって、その式作法も詳かに記憶せられている。本来は沖縄諸島のニルヤカナヤの大主も同じように、単に一つの神の二重称呼であったのを、後々是を双神と解するようになって、一方のナルコ神を山の神、テルコ神を海からくる神という人が多くなった。伊平屋の島にもナルクミニアルクミという言葉が残っていて、それがまたニライ・カナィ、すなわち海上遥か彼方の神の世界だったことを考え合わせると古い信仰には伝承の中心がないために、歳月を重ねるうちに、次第に島ごとの変化が多くなってきたのである。島々の神歌は必ず対句をもってくり返され、一神二名ということはむしろ普通であった。歌が衰えて名の暗記を主とすると、是を二つの神と解したのも自然である。沖縄本島では、その一方を天の神と見ようとする傾きも見られるが、奄美の島では蒼空の信仰はまだ起こらず、神山の霊験はなお大きかった故に、こういう説明も可能であったので、或いは海を渡ってきて山に入って行く鼠の群が、こういう双立神の信仰を導いたということも想像せられる。(「鼠の浄土」)

 鼠はニライカナイからの使者として見なされる側面もあるのだ。こうした背景を置けば、伊是名のシヌグで鼠を送る儀礼が、鼠祓いとは別の表情で感じられてくる。

 農耕の発達した伊是名で、鼠がシヌグに登場するのも、むべなるかなと思える。シヌグは幅も広く奥も深い。


 追記。この記事に記すべきことでもないけれど、鼠を与論ではユムヌというが、この音が、与論島の地名呼称であるユンヌときわめて似ているのはとても興味深い



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コメント

 クオリアさん

 生まれたばかりの鼠の赤ん坊を見たことありますか
与論の島で見たそれは、小指ほどでした

 小鳥は、ユムドゥイですよね
ユムは、ユナで砂粒のこと?
砂つぶは、小さい・・・
夜空の遠くにかすかに瞬く小さな星のように

 ガシュクトゥ ユナ ユム ユンヌ  ・・・?
イッチャーンカデーシガ ミジラシャイ

 小さい、大きいは相対的なことで・・・
自分にとって大きいと思えることがウフシャル
ムヌに思えるのですが。

投稿: サッちゃん | 2007/12/23 23:31

サッちゃんさん

はい。ぼくにとっても与論は大きいです。

イッチャーンカではなく、ウップーサ、ミジラシャイです。

投稿: 喜山 | 2007/12/24 17:35

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