「アシャギ」と「庫裡」
池は、イザイホーの差屋型の神アシャギが、蒲葵の葉で壁をしつらえるやり方に着目、それが、聞得大君の即位式である「おあらおり」のときに臨時に建てられる「三庫裡」(サングーイ)と同じつくりであることから、「あしゃげ」が「庫裡」と呼ばれるようになったとしている。
『おもろさうし』 「うちいではおしかけ節」
斎場嶽(さやはたけ) 御嶽(みちやけ)
ゑよ ゑ やれ 押せ
(※「ゑよ ゑ やれ」 囃しことば。)
そこにや嶽(たけ) 卸嶽(みやちけ)
(※「そこにや嶽」と「斎場嶽」は同義語。)
三庫裡(さんこおり) 在つる
三庭(さんみや)あしゃげ 在つる
(※「三庭あしゃげ」と「三庫裡」は同義語。)この斎場嶽は沖縄本島南東部知念村にある嶽名であって、ここは沖縄一の霊地として東方海上を通して久高島を遥拝するための拝所などがあり、かつては琉球王の行幸や最高神女・聞得大君の「おあらおり」(即位式)に際して巡礼が行なわれるところであった。そして、このような国家的祭祀がある時、臨時に建てられる三庫裡(三庭あしゃげと同義語)は国王の「をなり神」すなわち聞得大君の祭場で、すべて神木蒲葵をもって造られたという。とすると、国家的祭祀の格式が重んぜられていく過程で、「あしゃげ」が「庫裡」と呼ばれるようになると同時に、本来神祭時ごとに新たに設けられた蒲葵の神アシャゲが、軸組だけ常設化した差屋型の建物になり、神祭時のみ蒲葵の葉をもって壁をしつらえる形式に変わったと考えられよう。次いで高級神女が関係する聖地や首里王府に近い村落の神アシャゲにこの形式が採り入れられ、王政解体後久しくたってから(五十~六十年前頃)奄美地方にも伝播したものと推察される。
(『祭儀の空間―その民俗現象の諸相と原型』
池は、「あしゃげ」の呼称変化として、「庫裡」を見ようとしているが、性急に移行を見なくてもいいのではないだろうか。祭場としての「神アシャギ」は、宮殿であり饗宴を催す場として「足一騰宮(あしひとつあがりのみや)」と同等と思えるが、これらと、「食」の意味を介して、台所である「三庫裡」(サングーイ)はつながっていると見なせばよいように思える。これは、宗教精神の移行という時間軸ではなく、並存という空間軸でみるべきではないか。
ぼくはそれより、池は、「三庭あしゃげ」と「三庫裡」は同義語と繰り返し指摘しているのだが、その根拠を明示してほしかった。
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