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2007/12/20

神アシャギとサークラ

 池は、次に、真四角は神の家として忌避されるが、高倉は真四角であるとして、神アシャギと高倉の類縁性を確かめようとしている。

 奄美加計呂麻島の「真四角の家は神の家として、民家を正方形に建てることを禁じた」とする禁忌が、神アシャゲが存在した南西諸島において普遍的なものであったかどうかは、はっきりしないが、神アシャゲを正方形平面とする形態規範があったことは確かであるから、こうした禁忌の存在は十分に蓋然性のあることと考えなければならない。炊事屋や納屋などに正方形平面のものがあっても、この穴崖構造の建物は一般に耐用年数の短いも のであるから、近年、そうした禁忌観念が希薄になってから建てられたものとも考えられる。しかし、高倉は正方形平面が主流で、その存在は少なくとも『おもろさうし』編纂年代、すなわち十五世紀まで遡るものであるとすれば、神アシャゲとの関連について説明する必要が生じてくるであろう。

事例十二 奄美与論島のシニュグ祭のサークラ 
 与論島のシニュグ祭は、第一期の収穫を終え、旧盆をすませた七月十七日から三日間の行事で、サークラという大家(宗家)を中心とする血種(血縁的集団)が集まって、新穀を祖神に供え、豊年や血種の幸運を祈るが、十七日には、老若男女は晴着を着、味物を携えて村のミヤ(祭祀広場)に建てられた、これもサーグラと呼ぶ仮小屋に集まり、祈願の祝詞を唱えた後、酒や味物を神に供えてから一同も共に大いに飲食し、また祝女など神人による「神遊び」をする。サーグラ集団は四つあるが、主盛となるショー(地名)周辺はかつて麦屋地区の飲料水の水源地となった湧水のあるところで、今でも古い屋敷跡と思わせる大木が立ち、この地区から移動した家が古老の記憶をたどっても数十戸はあるという。サーグラという仮小屋は、素丸太、竹などで骨組をつくり、舟の帆や席を覆せたものである。

事例十三 宮古・八重山諸島の座
宮古・八重山諸島には「座」とか「元」と呼ばれる祭祀場があって、一般に御嶽の中にあるが、建物が設けられているとは限らない。

高倉そのものが祭祀場であったという痕跡は認められない。
『祭儀の空間―その民俗現象の諸相と原型』池浩三)

 池は、この考察の結果、神アシャギと高倉の類縁の根拠を見いだせずにいるように見える。

 しかし、いまはそのことより、ここで与論のサークラも事例に登場することに注意がいく。池は、サークラをセジ(精霊)の倉のように解しているが、この「サー」の解釈にあまり心惹かれない。ただ、神アシャギの考察のなかの事例として出てくるのはうなずける気がする。

 サークラは、シニグにおける祭祀場であり、そうであるなら、シニグにおける神アシャギをサークラと呼ぶというように、位相同型と見なしてよいのではないかと思える。

 また、いまだに、サークラの「サー」の意味について、自分を納得させられずにいるが、八重山に「座」と呼ぶ祭祀場があることは、興味深い示唆に思えたりする。


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