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2007/12/06

薩摩とは何か、西郷とは誰か 8

 薩摩の制度の代弁者たちは現在でも、鹿児島を語るのに明治維新をもってする。俺はいったい彼らがなにを誇りにしているのかよく解らないところがある。だいたい「明治維新」という歴史の転換を担ったことを誇りにするのであれば、それがもたらしたものにたいしてどこまでも引き受けてみせたらどうなんだ。日本の植民地化を防いだだの、いちはやく西洋技術を採り入れて開明的だのということを振りかざすのであれば、その結果、訪れた「近代」のもつ意味を受け止めてみせるべきである。それが明治維新の責任をとるということに他ならない。

 第一、明治維新の成就を誇るものが、それがもたらしたものの光度に耐ええないというのは滑稽ではないか。結局のところ、<薩摩>は幕末から明治維新にかけてエネルギーの解放をはたしたが、西南戦争で挫折してから以降何が残ったといえるのか。そこで西郷や武門は死んだかもしれないが、<こわばり>の論理だけは存続していったのではないか。そして現在その最たるあらわれを、俺たちは「教育県」にみているのではないか。「教育県」とは、都市化への<こわばり>を共同意志化したものに他ならないのだ。

 また、「九州男児」などという通称が、誇らし気に<薩摩隼人>という像に収斂されるとき、そこにはいつも裏面に<男尊女卑>という考えを随伴している。<男尊女卑>といったところでなにも男が女を虐待し奴隷化しているという単純な図式が妥当するわけではないことは言うまでもない。それでは<薩摩おごじょ>という活き活きした女性像もありえないことになる。だが、だからといって<男尊女卑>が立派なものだということにはならないことも自明のことである。

 男性の女性にたいする関係は、人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。 だから、どの程度まで人間の自然的態度が人間的となったか、あるいはどの程度まで人間的本質が人間にとって自然的本質となったか、どの程度まで人間の人間的自然が人間にとって自然となったかは、男性の女性にたいする関係のなかに示されている。
 また、どの程度まで人間の欲求が人間的欲求となったか、したがってどの程度まで他の人間が人間として欲求されるようになったか、どの程度まで人間がそのもっとも個別的な現存において同時に共同的存在であるか、ということも、この関係のなかに示されている。
            (マルクス『経済学・哲学草稿』)

 間尺のあわぬ引用をしているようで気かひけるが、この言葉は真理だ。男性の女性にたいする関係のなかに、どの程度まで他の人間が人間として欲求されるようになったかが示されるというとき、<男尊女卑>の思想が自滅しなかったとしたら、これ以上の貧困はないと言わなければならない。もう誰も声高にはこの思想を言う者などいないのかもしれない。だが一枚皮をめくってみれば、相も変らぬ信奉者の頑迷さに出会うことはままある。

 俺は<男尊女卑>が時代錯誤だと言いたいのでもなければ、女性を解放せよなどと言いたいはない。この思想では、現在の女性一般が、社会へ進出し、また性の抑圧を解かれ自由を享受している勢いにたいして、男性一般は、この事態にどう対応していけばよいのか判らずに内心戸惑っている状況を隠してしまうのだ。このことは俺たちが日々営んでいる社会の現実的な関係の場を覗いてみれば、避けられない力を持っていることくらいすぐに解るはずである。このとき<男尊女卑>を秘めている著は頑なにその砦を守っているつもりでも、その姿は滑稽でしかない。マンガなのだ。これでどうして人間と人間の関係をむすんでいくことができるのか。<男尊女卑>とは、人間の他の人間にたいする<こわばり>の制度化の謂いに他ならないのだ。
(『攻撃的解体』1991年)

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