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2007/12/05

薩摩とは何か、西郷とは誰か 7

 <薩摩>とは何か。それは<こわばり>の絶対化のことである。そして<こわばり>が絶対化されるという点で、<薩摩>は他の地域にたいして極北を占めるのであり、これにより全く異なる相貌をもつものへの反転を可能にしたのである。これが「県民性」と呼ばれるものの二重性の根拠であり、<こわばり>の絶対化として、薩摩は<薩摩>であった。

 <薩摩>は、その<こわばり>の絶対化による閉塞と逼迫を、南島支配によって二重の意味で緩和した。しかし、<薩摩>をその<こわばり>の論理に従って解放したのは、明治維新であった。<こわばり>の絶対化を、その論理に沿うように解放することができるのは、緊張と硬直で高まる内部圧力を外部に向って発散することである。そして<薩摩>の<こわばり>の絶対化は、外部にたいする発散にいつでも向けられるようなポテンシャルを維持する意志から産まれてきている。革命の青写真も理念もあったものではない。むしろ彼らの思想は、観念の構築を忌避するところにこそあった。

 <薩摩>の論理にとって明治維新が意味をもったのは、その<こわばり>の絶対化を解除するエネルギーの発散の機会であったからである。しかも<薩摩>にとってこの解放は、記述に現れる限りでは、「熊蘇」や「隼人」の反乱以来、幾度となく繰り返されてきた封じ込めにたいする解放をも意味していた。この歴史的に蓄積された巨大なエネルギーの提供が、<薩摩>が明治維新にたいしてなしたことである。

 だが、行為を担った薩摩の下層武門勢力は、革命が武門の死を意味することを、その成就ののちに知らされる。しかもこんどは再び<薩摩>として、国家権力から従属を強いられるだけではない。<出てゆく>ことと<とどまる>ことの分裂の過程を通じて、農耕社会型の特異な世界を醸成してきた<薩摩>の胎内からも、<出てゆく>者の出現を余儀なくされたのである。そして西南戦争による武門の死滅により<とどまる>論理は挫折する。もはや<とどまる>ことが世界を覆うことはできなくなり、<出てゆく>と<とどまる>は対立する構図を形成していった。そして明治維新が大衆的な規模で強いたのも、この抜き差しならない分裂の意識であった。
(『攻撃的解体』1991年)

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