« 「みんなで沖縄の海にサンゴを10,000本植えよう。」 | トップページ | 薩摩とは何か、西郷とは誰か 7 »

2007/12/04

薩摩とは何か、西郷とは誰か 6

 薩摩は、幕府の国家権力の圧政と藩国家内で衆庶に及ぼしている圧政で、窒息していった。これは<こわばり>の論理はそれのみでは、<こわばり>の果てに凍てつき死んでゆくことを意味している。この窒息の事態を、島津は南島支配により切り抜け、<薩摩>を呼吸させたのである。薩摩は南島にたいして強者の論理で臨んだのだが、ここでも薩摩は浄土真宗と同じ“敵”を南島に見出したのだ。なぜなら南島は、<こわばり>の論理とは相容れない安逸や香気やおおらかさという楽な姿勢を保持した世界だったからである。そして薩摩が南島に輸出した最大のものも、この<こわばり>の論理であった。しかし、薩摩にとって南島支配のもった意味は、藩内部の呼吸というだけに止まらない。

 薩摩は藩国家を独立圏として成立させたが、このことは藩国家内部の<こわばり>の内圧を高めることを意味した。だが、考えてみれば江戸幕府の国家権力も外部世界にたいして門を閉ざし、鎖国体制を敷いていたのであり、薩摩は鎖国内部で、もう一度鎖国の境界を引いていることになる。ところで二重の閉鎖は藩内部の内圧をさらに高めるといえるが、他方、幕府の国家権力から藩を閉ざすという点では、幕府の国家観力が閉ざしている外部世界とは通路が開かれる契機をもつことを意味したのである。司馬などが日本の植民地化を防いだという島津氏の幕末の外交はこのことの現れである。ここでも南島は外部世界の動きをもっともはやく受けており、薩摩は南島支配によりその信号をキャッチし、外部世界との呼吸をも可能にしたのである。だから、国家としての薩摩にとって南島支配とは、国家の内部と外部にたいする呼吸という意味をもったのである。

 このことは<薩摩>が、観念と情念の農王国として、ある極北を占めると考えられる側面も物語っている。これはふつうには、進取の気性に富むことと保守的であるということが矛盾せずに県民性として挙げられていることに関わり、かれらのある痛ましさの内実を伝えるものである。

 薩摩は、「出島」のように江戸幕府の国家の政策的な開放機関であったわけではない。薩摩が外部世界と交通したのは、鎖国内部でさらに鎖国を反復した強度が反転された結果である。この全く異なる相貌をもつものへの反転を可能にする強度において、薩摩は極北を占めるということができるのである。だが、この反転は、精神の自在さや世界の多様性を意味しない。日本という大文字の<共同意志>にたいして<薩摩>の、いわば小文字の<共同意志>が、従属という関係だけではおさまらず、対立し拮抗する志向をどこかに持っているということは、大文字の<共同意志>以上に、いびつなおおらかさのない共同性をしか構成できないことを意味していた。それはこれまで見てきた通りである。だからこの反転は、<共同意志>の二重化が可能にしているのであり、本来別ものではありえず、根底的には<薩摩>のもつ相貌だということに変りはない。

 そして現在、大文字の<共同意志>が白熱する核の根拠を喪失し解体と拡散の一途を辿っている事態にたいしては、小文字の<共同意志>は、動向の遮断と自身の強化を志向し、解体と拡散への反動から大文字の<共同意志>が日本人としての結束を強化しょうとする収束の動きにたいしては、むしろその先鋒をつとめているようにみえる。これが、かの地の“保守と進取”にまつわる現在的な二重性の奇妙なあらわれになっているのだ。
(『攻撃的解体』1991年)

|

« 「みんなで沖縄の海にサンゴを10,000本植えよう。」 | トップページ | 薩摩とは何か、西郷とは誰か 7 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 薩摩とは何か、西郷とは誰か 6:

« 「みんなで沖縄の海にサンゴを10,000本植えよう。」 | トップページ | 薩摩とは何か、西郷とは誰か 7 »