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2007/12/03

薩摩とは何か、西郷とは誰か 5

 だから、西郷隆盛の死にしても、現象的には「サムライの滅亡」を象徴したとしか言えないものだ。日本史権力としての国家の、薩摩に対する従属の強制は、「熊蘇」や「隼人」にたいする「大和朝廷」以来の歴史的なものだが、こうした背景をもった薩摩にとって明治維新は、高い内圧のエネルギーの発散によって、国家の封じ込めにたいする無意識の解放を果したことを意味したと思える。だが薩摩にとっての内在的な意味と「明治維新」の内実とはおのずと別の事柄に属する。西郷はこの薩摩にとっての内在的な場所を離脱して、「明治維新」の独自の相貌を織ったとき、歴史の突端にたって二重の分裂した意識をかかえこんだ。繰り返すが、そこでは<出てゆく>ことと<とどまる>ことは異なる生の範型であることを、<薩摩>という地方の物語をもっとも大きな振幅で辿らざるをえない負荷を通じて識らされたのである。だが、かれはここでこの分裂に身を晒したのでもなく、革命の遂行を、つまり<出てゆく>ことの意味をどこまでも辿ってみせたみでもなかった。

 西郷は、その意に反して海辺の統治を命じられて青山が枯れるほどに泣きちらしたスサノオのように、<出てゆく>ことを拒否して<とどまる>ことを望んだのだ。だから、西郷の死がほんとうに象徴しているのは、農耕社会型における政治形態の最初の死である。司馬の言う通り、薩長という明治維新の武門勢力は、革命政権について何のブランも持っていなかった。そのことはアジア的・農耕社会型の論理が死ななければならない端緒であったことを示している。西郷はそこに殉じたのだ。

 西郷については、現在でも、親近感を抱くことができる人格的な吸引力が語られる反面、そのネガのように「征韓論」を唱えた人物であるということが、矛盾であり謎であるとする考え方が存在する。だが、こんなことは矛盾でも謎でもありはしない。「敬天愛人」というかれの言葉がよく伝えているように、支配権力は天上に押し上げられ、そのもとでの衆庶相互は愛情に満ちた関係が架橋するという専制的な支配権力の存在と理想的な側面すらもつ人間関係の親和は、ともに農耕型社会の特徴である。そして西郷は、この「帝王」的世界と「阿Q」的世界の双方の在り方を一人格として備えていたのだ。西郷が農耕型社会における政治形態の最初の死を象徴しえているのは、この無限の距離を介して成立するはずの、ディスポティズムの論理と「帝力何ぞ我にあらんや」という衆庶の呟きを一身に具現していたことにあるのであり、かれの魅力もそこにあると言える。

 西郷がこのような思想的人格ともいうべき内実を体現しえたのは、ひとつには薩摩が自閉的な社会を維持し藩国家を独立圏として成立させたため、薩摩藩が外部とは一端絶たれた農耕型社会を純粋培養したことによる。しかし、国家としての薩摩は「帝王と阿Q」の世界を生き写しにもっていたのではなかった。そこには、両者の無限の距離を極小に締めた「郷士制度」が存在しており、「阿Q」的世界に特徴的な安逸や呑気さやおおらかさの代りに<こわばり>の雰囲気が浸透していたのである。つまり西郷は<薩摩>のみでは西郷たりえなかったのである。このことは藩だけでは<薩摩>が薩摩自身を存続させることはできなかったことに対応すると思える。
(『攻撃的解体』1991年)

 いま、補足があるとしたら、農耕社会型の政治の死が、西郷隆盛に始まったとすれば、その終わりを演じたのは、田中角栄だったということだ。


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コメント

 クオリアさん

 司馬さんも、西郷さんも好感の持てる歴史的な方です

角栄さんを飛び越えてごめんなさいですが、いまと明日の
ことを考えて、北国の小沢一郎さんはどんな人物かをお聞
きしたいです

 "one for all.all for one."
「国家と地方自治」とでも云えばいいのでしょうか
パラレルな均衡が捩れて 揺れもどりゆれ返す 何といい
ましょうか、歴史は繰り返すという・・・

 くりかえし かえし しぬびゆくびけい
というユンヌのアシビ唄が つい 口をついた出
ます

 この稿は、ボツにして下さい

投稿: サッちゃん | 2007/12/03 22:15

サッちゃんさん、いつもコメントありがとうございます。

小沢さんは、遅れてやってきた農耕社会型の政治家のように見えます。産業構成としても市民意識としても基盤の無くなったところでやってきた。
そんな方がどんな変化をするのか、感心があります。小沢さんにとってもともと民主党はただの方便だったかもしれなかったけれど、市民生活を正面から考えるきっかけになったんじゃないか、とか、今回の辞意撤回も自分を相対化するきっかけになったんじゃないか、とか。

お答えになっているかどうか分かりませんが、そんな印象を持ちます。

引き続き、よろしくお願いします。

投稿: 喜山 | 2007/12/04 08:30

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