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2007/11/25

『めがね』ウィスパー

与論島でも映画『めがね』が上映されることになった。
そして、映画サイドからは、
与論が舞台だと声高に言わないで欲しいといわれている、
と聞いて、なるほどと思った。

与論島上映に向けて動くべきだ、クチコミを起こせと
言ってきたことが少し恥ずかしくなった。

なるほど「どこかにある南の島」なのだから、
与論島です、と言わないほうがいい。

でもって、ここは大事なポイントだから、
映画サイドからの要請が無くなっても生かしたほうがいい。

たとえば、映画上映が終わった後に、
与論島に行ってみたら、
「ここがタエコの降りた空港です」、
「ここがメルシー体操をやっていた浜辺です」、
「ここで、梅はその日の難逃れと言ってたんです」、
「ここで、タエコはサクラさんに自転車に乗せてもらいました」
とか、いちいち案内板があったらそれこそ興ざめ、
たそがれ気分も半減してしまうだろう。

いちばんいい姿を極端化してみる。
島に着くと、『めがね』の案内はどこにもない。
旅人は不安になって聞く。
「ここは、『めがね』を撮った島ですか?」。
するとそこで初めて、「はい、そうですよ」と島人は嬉しそうに答える。
「メルシー体操をやっていた浜辺はどこですか?」
「島の北の方に行って聞くといいですよ」
「犬のコージに会えますか?」
「宿を教えましょう」
以下、同様。

島内のどこでも、聞かれれば島人の誰もが、答える。
ただし、道案内はどこにもない。
すべてクチコミがガイドする。

そんな絵が、『めがね』コンテンツを生かすのには
いいのではないだろうか。

では、どこで、『めがね』の舞台は与論だとアピールするのか。
それこそ、ネットでするのである。
ネットでは、正直に積極的に言えばいい、書けばいい。

ただし、地元は、たそがれるにふさわしい場所として、
映画と地続きの場所であるように、
なるべく映画世界のままであるように保つ。

たとえば、寺崎に「めがね海岸」なんて看板でも立ったら、
映画世界からいきなり現実に連れ戻されるわけだから、
興ざめはなはだしいことは分かると思う。

だから、島のなかでは、案内は極力なくして、
島自体がささやくように、「そう、めがねの島です」
と言っているくらいがちょうどよい訴求だと思う。

そこを間違わずに、素敵な案内をしてほしいと思う。




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