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2007/11/25

優しい出入り口-与論砂浜の表情

与論の砂浜をめぐる旅は一日で足りたのか?
それは甘かった。
では、二日かければ何とかなったか?
それも甘かった。

まだ、見落としている浜辺はいくつもある。
それに、写真に収めた浜辺だって、
立ち寄る程度しか接することはできなかった。

つぶさに立ち寄りたいし、
ひとつひとつを、素足の裏で感じ、座ってもみたい。
座って、海を眺めてみたい。
それに、干瀬から浜辺を眺めてもみたい。

そんなやりたいことたちは、また後日だ。

Tilazakisand














Asakisand














ひと口に与論の砂浜といっても、
その表情は単調ではなかった。

比較のために撮ったわけではないけれど、
上のティラザキ(寺崎)の砂は、
肌理が細やかで白く、
下のアーサキ(赤崎)近辺の砂は、
粒が大きく丸く赤みを帯びていた。

寺崎は、白崎かもしれないが、
ひょっとして、赤崎も、赤い砂の崎なのかもしれない
と思ったほどだ。


砂の白は神聖なものだが、
でも、感覚的には、足の裏に優しい。
砂浜は、与論島の外への出入り口だとしたら、
与論は、優しい出入り口を南の一部を除いて、
八方美人に数多持った場所だということに気づかされた。

まさに、砂の島だった。

 ○ ○ ○

とはいえ、与論島が「砂の島」ということに確信を持てたけれど、
「砂の島」が与論島の地名の由来であるかどうかに
確信が持てたわけではなかった。

たとえば、砂の印象とは別のことだけれど、
ユンヌを「砂の島」と解する場合、
「ヌ」を格助詞「の」と解しても、
他にあまり例がなく、どこか不自然な印象がぬぐえない。

それからぼくは、その同系列の地名として、
与那国の地名ドゥナンや与那国の砂浜ダンヌを
同じ地名と見なしているのだが、
与論ほどには、与那国島は「砂の島」とは言いがたく、
地勢が地名という初期原則に則っていないのではないかという
疑念が去らない。

ひょっとしたら、与論=与那国という仮説は、
奄美と八重山の地名相似に由来を求めるのがいいのかもしれない。
地名が相似する根拠は、
北から南へ移った島人が、
奄美の島々に名づけたものを八重山でつけたと解するのだ。

けれどそれは、よく描かれるように、
日琉同祖論にいう弥生期に農耕技術を携えて南下した
「日本人」がつけたものと考えているのではない。
むしろ、もっともっと以前に、北方からやってきた
「日本人」が名づけたとイメージしている。

 ※「ユンヌの語源、註」
  「大隈・奄美、八重山の地名相似説」

 ○ ○ ○

こんな風に、砂の島の想念は去らない。
またいつの日か、「砂の島」与論島を堪能する日を持ちたい。



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