« 薩摩とは何か、西郷とは誰か 1 | トップページ | 薩摩とは何か、西郷とは誰か 3 »

2007/11/30

薩摩とは何か、西郷とは誰か 2

 よく知られているように薩摩津の武家人口は極めて多く、専門家の試算によれば、武家対衆庶は三対一の割合であり、これは全国平均の約六倍に該当するという。この他藩に例をみない過剰な武家人口については、九州全域を征服していた島津氏が、豊臣政権により薩摩、大隅、日向に領地を限定されたため武家層もこの三州に封じ込められたという説明が与えられている。このため薩摩藩は藩士を城下に集住させず、領内を百余の区画に区切り、藩士を居住させるという屯田制度を敷いた。この区画を「郷」と呼ぶが、「郷」居住の藩士は、城下居住の藩士である「城下士」にたいして「郷士」と呼ばれ区別されていた。

 「郷」とは藩内の共同性の単位であり、「郷士」とは「城下士」が藩の支配層であるのに対して、地域の共同体の支配層であると言える。この「郷士」という存在に象徴されるという意味で、この屯田制度は「郷士制度」と呼ばれた。あるいは「郷」は古くは外郭的防衛至城の意味で「外城」とも称していたものであり、その意味では「外城制度」とも呼ばれている。いずれにせよ、「郷士(外城)制度」は、薩摩藩の抱える過剰な武家人口を維持するために編み出されたもので、この意味で<薩摩>を特徴づけている根本的な要素であると言うことができる。
 
 「郷」はひとつの行政単位で「郷士」はその支配層だが、「城下士」とは異なりほとんどが農業経営に従事する「半農半士」の生活を営んでいた。しかし、このことは薩摩藩では地方自治が行われていたということを全く意味しておらず、また「郷士」の生活様式は「半農半士」であったとしても、だからといって「郷士」は、武士と衆庶の仲立ちをなし両者の対立を緩和する役割にあったことを全く意味していない。

 「郷士」の生活形態には農が組み込まれているが、彼らの存在規定は「郷士」が、軍事に携わる「武士」と農に従事する「農民」の中間に、その交わる部分にあることを意味しない。「郷士」は「城下士」の下位に位置づけられ、「城下士」からは「一日兵児」と侮蔑される存在だったが、そうであっても「郷士」は武装した農民ではなく、農を営む武士であるというのがその存在規定である。つまり「郷士」は、農民としての衆庶とは階級として一線を画する武士に属することに変りはなく、衆庶にたいしては支配者として振舞ったのである。「郷士」が居住したのは各郷の「麓」と呼ばれる武士集落であり、衆庶の居住する周囲の「在郷」と区別された。「郷」はこの「麓」と「在郷」、により構成されるが、「麓」と「在」とは居住空間の相違であるとともに支配と被支配の関係図式も意味したのである。

 だから「郷士」とは武家と衆庶における支配-被支配の関係をもっとも露骨に尖鋭に表現したのであり、この領内の全共同体に配置した武士存在により、藩は衆庶からはとんど奴隷同然の収奪を可能にしたのである。

 この意味で行政単位としての「郷」は、薩摩の藩国家の内部における小国家を構成したのだと言える。「郷中教育」の実態が教えるように、この小国家相互は排他的な関係にありながら、藩の国家意志を共有しており、ナショナルな情念と観念は藩国家の<共同意志>に白熱の中心をもっていた。だから「郷士」という存在は藩の領地にあまねく貫徹した支配の意志であるとともに、武力機関としては藩全体に国家がびまんすることを意味したのである。しかも薩摩は藩境界の警備が厳重を極めており、鎖国中の鎖国として一種の独立圏を形成していたのだ。

 これらのことは薩摩という農耕社会に特異な特徴をもたらしたと思える。つまり、この二重鎖国の独立圏を形成することで、薩摩はある農耕型社会の世界を純粋培養したのだ。薩摩は「武士」の内部から、その存在規定において武門に属するが、その生活様式においては農を営む「郷士」という存在をもったことで、『葉隠』のような観念的に昇華された「武士道」を手にすることがなかったと同時に、初期武門を産んだ鎌倉武士の粗野さや殺伐さをよく温存したのである。その上薩摩は鎌倉期以来、島津氏の支配体制に変更が無かったため、中世的な後進性はこの点でも保持されやすかったのだ。だが、その一方で「郷士」は薩摩の各地域共同体を直接支配したから、「郷士制度」は農耕社会の政治形態である「阿Qと帝王」にまつわる構造についても重要な変容を与えずにはおかなかった。政治形態としての農耕社会では、衆庶は貧困であるが、貧困下の平等と理想的な親和の関係が存在することと、支配者の専制や圧政が貫徹するということとが共存する。そしてこの世界における両者の共存は、いわゆる「阿Qと帝王」の無限の距離が媒介しているのである。だから、「郷」という共同体が意味するのはこの「阿Qと帝王」の距離を極小値にすることであり、そこでは両者の無限の距離により存在することができた牧歌や安穏やおおらかさが喪われたのである。
(『攻撃的解体』1991年)

|

« 薩摩とは何か、西郷とは誰か 1 | トップページ | 薩摩とは何か、西郷とは誰か 3 »

コメント


 西郷隆盛のことですが

 クオリアさん カラオケに行かれますか?
ユンヌンチュの歌い手が唄っている「西郷隆盛」という
唄があります

 ご存知かもしれませんが、歌詞がいいですよね
でも、私には音域が辛いですし、リズムも難しいですね

 いい唄ですので、ご存知でなければぜひ・・・

投稿: サッちゃん | 2007/11/30 23:57

サッちゃんさん。

ああ、その唄は知りませんでした。
ユンヌンチュの唄う「西郷隆盛」があるなんて、びっくりです。
ぜひ、聞いてみます。とおとぅがなし。

投稿: 喜山 | 2007/12/01 23:07

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 薩摩とは何か、西郷とは誰か 2:

« 薩摩とは何か、西郷とは誰か 1 | トップページ | 薩摩とは何か、西郷とは誰か 3 »