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2007/11/12

与論砂浜三十景 22 トゥーシ

トゥーシの浜に行くには、
パマゴウのアーチ(穴)の手前で右手に進んで、
岩の裂け目をくぐるのがいい。

盛窪さんの案内のおかげで、
ぼくはこの通り抜けをしてドラマティックに、
トゥーシに出あうことができた。
思わず、おおと声を上げた。
いいガイドさんがいると、島の魅力倍増だ。

Tushi


















ここは豊かなウプガニク(大金久)の終わりをリフレインするように、
砂のひろがる浜辺だ。

けれど、ただの砂浜ではない。

  さて、ここの大きなイノーウシに立って餌を投げ込むと同時に
  私の東側ピシバナから年下の若者がこちらに向かって歩きながら
  「イシャトゥドォー、イシャトゥドォー、
  ハタパギドォー、ハタパギドォー」
  と大きな声で怒鳴りながらこちら向かって来る。
  私は夜の海でこんなクチバシを使ってはいかんと思うその瞬間
  私が立っている大きなイノーウシが
  ゴッツン、ゴッツンと崩れ落ちて行くのである。
  その時私はこれはいかんと向こう三、四間も離れた所の
  イノーウシに力一杯跳んだのである。
  ところが左手だけはようやくすがり付くことが出来たが、
  どうですか左腕の内側は包丁で酢あえナマスを刻んだように
  みな切り裂かれているではないか真っ黒い血が流れ出て来る、
  夜のせいか血は赤くは見えなかった。
  これは大変だと私は舟に駆けつけて行き乗った。
  その後の自分はもうどうなったか判らない。
  気が付いたらトゥーシの浜であった。
  三人の方々はすこしでも近いトゥーシに早く舟を着けようして
  当たり前のトウマイであるジバナリには漕がず
  トゥーシに舟を漕いだのだった。
  私が気付いて起きたらトゥククヤカがワヌ ハンギティ ソーラン
  とおっしゃった。その時私はナイギサイドーアイカリギサイドーと
  ゆっくり歩いて来た事がある。
  夜でも畳でも海での言葉使いは憤まねばならない、
  特に夜は注意せねばならぬ。

  話は後に戻るが私が立っていた崩れ落ちた大きなイノーウシ
  それが本当に崩れ落ちたかその後私は行って見たのだ。
  それがなに!崩れ落ちるものかイノーウシが
  崩れ落ちると見せ掛けてあいつが私を取って投げたのであった。
  (『無学日記』池田福重)

海霊イシャトゥと一戦を潜り抜けて、
気づくとそこは、トゥーシだったというように、
池田さんの日記には出てくる。

『無学日記』を念頭に、トゥーシを見ると、
そこはただの砂浜ではなく、
民話に溶け込んでいそうな物語の舞台として、
俄然、意味を帯び始める。
ここにも、自然と神と交わる島人の姿があったのだ。




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コメント


 砂浜30景 ずっと興味深くみています

 与論の素のままの佇まいが 心に響きます

 その島に住んでいた人 住んでいる人

 住むであろう人

 ・祖父母、親、ワヌ、子、孫・・・延々と

 累積された100年の歴史、たかだかなのか

 されどなのか 1世紀とは 

 忘却とは 忘れ去ることなり 忘れえずして

 故郷は いま いずこに・・・ 懐メロ調で

 慣れぬ手つきながら

 ウルズンさんのHPに出会いました

 聊か 驚きと衝撃でした

 ユンヌの未来の世代には 

 スグリムヌぬ ウップーサ マンドィや

 ガシガ ガシガデール


投稿: サッちゃん | 2007/11/13 11:47

サッちゃんさん

浜辺に行くといつも目線は海に行くので、
砂をとると、いつもとは別の表情が感じられました。
言われてみれば、素の感じがあるかもしれません。

ユンヌの未来。みなで描けば、いい姿が見えるかもしれないですね。
与論会に出ると、少しは分かるのでしょうか?

投稿: 喜山 | 2007/11/13 17:35

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