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2007/11/29

薩摩とは何か、西郷とは誰か 1

 『薩摩のキセキ』については、昨日の記事で終わりにするつもりでいた。けれど、時間が経つにつれ、薩摩の思想の不変ぶりに今更ながらに愕然とする想いがやってくる。ぼくは16年前の自分の文章を読み返し、時代環境や自分の気負いの変化などを差し引けば、いま書いたとしても同じ文章を書くのではないかとすら思った。それなら、ここまで現実と呼吸していない閉回路の思想に対して、きちんと向き合うべきかもしれないと思い始めた。そこで、そのときの文章の一部を改めて書きとめておこうと思う。

 もとより、ブログを前提とした文章ではないし、読みにくいことはなはだしいと思う。それに、薩摩の思想を追っていくと、道すがら、中高年男性のアイドル、司馬遼太郎も批判せざるをえなかった。ご容赦ください。

『攻撃的解体』、ここから。

 制度としての<薩摩>とは何か。明治のあるジャーナリストは、維新で主要な役割を演じた薩長土肥の各藩について、薩摩の「実際的武断」、長州の「武人的知謀」、土佐の「理論的武断」、肥前の「文弱的知謀」というように評したという。この、薩摩をして「実際的武断」と評して他と区別させた根拠とは何か。日本の共同性の共通性として抽出できるけれども、<観念と情念の農王国>として、その極北をさすと考えられるものは何か。

 そう問うとき、俺は「郷中教育」に突きあたる。なぜならば、「教育県」を称するときに、かの地の<共同意志>が根拠にするのが、“郷中”と呼ばれる共同性で行われた士族青少年の教育制度だからである。

(中略)

 「郷中教育」 の根本にあるものは何か。
 一九世紀の初頭に書かれた白尾国柱の『倭文麻環』は、当時の風俗を次のように伝えている。

わが郷党の面々は、もし風俗についてよからぬ評判がたてば、未練卑怯のいたりであるとして、各々は励ましあって、風俗は正しく立ち直り、稽古事の暇には、山坂の達者、海川の水練まで心懸け、朋友同士は互いに不時な行為を我さきにと諌めあい、信義を結び、自然と婦人や女子を忌み嫌うのは、蛇や蝮を憎むのに似て、道路で美人に会うと、自分の身に不掬が及ぶかのように避けて遠ざかりして、また知恵をはたらかせて、権威があり勢いのある家柄に押し近づいて媚びへつらい、女色を評論して、衣食を選んだりするなどという著がいれば、すみやかに交流を絶ち、郷中を追放し、もっぱら任侠をこととし、質素を尊び、美服盛膳を恥岸とし、髪の毛も耳の上で剃るなどしてつとめていると、淫乱の悪風は自然に変って、古拙の善俗となったのである。 これらの任客少年を世の人々が兵児と呼んだのは、このときから始まっている。
                     (白尾国柱 『倭文麻環』)[私訳]

 たくさんの記述のなかから険しい目つきで探しだしたのではない。専門緒家の文章が、<薩摩>の“士風沿革”として、好んでとりあげる個所である。俺もこの個所は、彼らとはちがう意味で、「郷中教育」の本質を如実に物語っていると思える。それは、山坂達者や海川水練を含めた<武>の偏重にあるのではない。反骨にあるのでもない。そして「質実剛健」にあるのでもない。「これらの任客少年を世の人々が兵児(青年武士)と呼んだのは、このときから始まっている」と、「郷中教育」の成果について誇らし気に語られているこの文章のなかで、最も根底的な個所はどこなのか。

 この観点から答えれば、それは、「自然と婦人や女子を忌み嫌うのは、蛇や蝮を憎むのに似て、道路で美人に会うと、自分の身に不潔が及ぶかのように避けて遠ざかりして」、というこの文章のなかで最も異様な印象を受ける乗りが、最も根底的だと言える。そしてこの条りこそは「郷中教育」の本質を鮮やかに告げているものだ。なぜなら、この部分は、男性にとって最も身近な他者である女性に対する<こわばり>を、「郷中教育」の成果として「自然に」そうなったものだと吐露しているからである。蝮を憎むように婦女子を忌み嫌い、不潔の及ばないように避けて遠ざかるというのは、女性への蔑視と憎悪を表明しているには違いないが、その根底には、女性という最も身近な他者にたいする態度を通じて、そこに人間の人間にたいする<こわばり>が存在することを教えているのである。この、男性あるいは武士の優位性を強調するところで、記述文は「郷中教育」の本質が何であるかを明らかにしている。

 「郷中教育」は、男性としての「他者」である女性にたいしては憎悪と優位の関係を表現し、共同体の同朋という「他者」にたいしては集団主義で臨み、その内部で信義の関係を結ぶ一方で共同義絶による追放を必然化し、共同体外の「他者」にたいしては排他性を発揮するというように、「他者」に対する<こわばり>を制度化したものだ。
 
 「郷中教育」とは、<わばり>の共同意志だ。「定日」にみなぎっている切迫した緊張とは、この「他者」にたいする<こわばり>表出であり、松本が「郷中教育」のスローガンを“日常が非日常”“戦場が平生”と書くのも、郷中教育が何をその共同意志の根幹に据えているかを物語っている。

 だから<薩摩>が、「実際的武断」として評されたとき、それは、この<こわばり>と無関係ではないのであり、むしろ他者にたいする<こわばり>が、「実際的武断」として表現されたと言うことができるのである。これは、司馬が薩摩藩を、「観念よりも現実でもって行動を決するという男性的論理性という点では終始すじが通っていた」と評価し、『鹿児島県の歴史』の男が、「鹿児島県人は激烈な行動性をもち、観念的な空論を忌む」と判断して、おおよそ定説化した“県民性”の謂いとなっているものである。
(『攻撃的解体』1991年)

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