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2007/11/03

与論砂浜三十景 13 ティラザキ

そしてトゥマイの右隣りが、ティラザキだ。
神話(民話)の語るところによれば、ティラザキは、
赤崎に次いで、島人が上陸した地だとされている。

  ウプアガリ(大東)は、与論島の東方のこと。
  ウプグチ〈大口)は、赤崎海岸のことで、
  そこから開発祖神のアマミクとシこグク両神が入り来た所である。
  アアサキウガンは、祖神が上陸して居住した所である。
  その次に与論島の開発祖神が上陸した所は、
  ティラサキウガンとクルパナウガンである。
  ティラサキサアクラの祭主は以前に、三日前から物忌みをして身を浄め、
  ティラサキウガンにこもって、夜通し神憑りして神を迎え、
  神の吉凶豊年の託宣を受け、十七日の神送りをすますまでは、
  神としての資格と待遇を受けていた。
  (『与論島の生活と伝承』山田実)

この信仰の混じった言葉を、
史実を伝承のなかに封じ込めた記憶と受け取れば、
赤崎、寺崎は、島人が上陸した順番とされている。

与論の島人(ユンヌンチュ)はどこから来たのだろう?
その謎を解くにあたって、この伝承はヒントを与えてくれる。

赤崎、寺崎の位置から素直に推察すれば、
与論には、まず、南から赤崎へ人が訪れ、
ついで、北から寺崎へ人が訪れたことになる。

与論島にはまず、南からの人が入り、次に北から人が入った。
単純化すれば、南洋系が先住者であり、
本土からが後から入ったように受け取れる。
もっと単純化すれば、北からの到来は、
稲作技術を持った人たちだったと見なすことだ。

そうだとすれば、寺崎に入った島人たちに、
稲作技術を持った人の姿を仮説することもできるかもしれない。



(ティラザキの写真は、浜辺というより海岸になってしまっているので、
洗骨の日の浜辺を補足しておきます)


Tiladaki










Tiladaki1

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