小湊フワガネク遺跡の豊か
一九九七(平成九)年の発掘調査
(第一次調査・第二次調査)では、
七世紀前後に位置づけられる遺跡が確認され、
掘立柱建物跡(四軒)、
貝匙製作跡(五カ所)等の遺構をはじめとして、
兼久式土器(七六二八点)、鉄器(一八点)、
ヤコウガイ貝殻(約三〇〇〇点)、ヤコウガイ製貝匙(九一点)、
ヤコウガイ製有孔製品(四四点)、イモガイ製貝札(三〇点)、
イモガイ製貝玉(二七〇三点)、
礫(約一五〇〇点、石器を含んでいる)等の
多数の出土遺物が発見されている。
現段階で当該遺跡に関する中核を成す資料群である。
(『ヤコウガイの考古学』高梨修)
小湊フワガネクは名瀬市にある。
転記に過ぎないが、出土品を箇条書きで抜き出してみる。
掘立柱建物跡 4
貝匙製作跡 5
兼久式土器 7628
鉄器 18
ヤコウガイ貝殻 約3000
ヤコウガイ製貝匙 91
ヤコウガイ製有孔製品 44
イモガイ製貝札 30
イモガイ製貝玉 2703
礫 約1500(石器を含む)
こう並べてみると、門外漢の目にも、
小湊フワガネク遺跡が、いにしえの奄美の生活光景を
豊かに伝えてくれるものだと映ってくる。
特に、兼久式土器、ヤコウガイ貝殻、イモガイ製貝玉の
物量には目を見張るものがある。
けれどここでは、数は少ないものの、
鉄器が出土されていることに高梨さんは注意を促している。
すなわち琉球弧の鉄器使用開始時期は、
ほとんど常識的事実として
十二世紀前後に位置づけられてきたが、
小湊フワガネタ遺跡群における発掘調査成果は
その通説よりもいちじるしくさかのぼるからである。
小湊フワガネク遺跡群にかぎらず、
兼久式土器出土遺跡からは
地中で腐りやすい鉄器が多数発見されている。
しかも、並行時期となる沖縄諸島の貝塚時代後期の遺跡は、
実施された発掘調査の絶対数の点で
奄美諸島よりも圧倒的多数であるにもかかわらず、
鉄器出土遺跡は僅少なのである。
当該事実から、奄美諸島と沖縄諸島では鉄器の普及年代
が相達していた様子もうかがえるのではないか。
(『ヤコウガイの考古学』高梨修)
ぼくたちは鉄器を通じて、
奄美と沖縄の差異線が走ってゆくのを目撃している。
この楔が、奄美と沖縄の互いの個性を浮き彫りにするなら、
ぼくたちはそれを奄美の自己理解へとつなげてゆきたい。
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