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2007/10/08

浮上するヤコウガイ

そして、『ヤコウガイの考古学』のなかで白眉である
ヤコウガイへとテーマは移る。

ヤコウガイ。

  ヤコウガイ(Turbo [Lunatica] marmorata)
  リユウテンサザエ科に属する大型巻貝
  殻径・殻高はいずれも二〇㌢前後に達して、
  重量は二キログラムを超過する。
  殻表全体は暗緑色を呈し、赤茶色の斑点を有している。
  貝殻は分厚で頑丈であり、
  その内面は美しい真珠光沢を有している。
  生息地城はインド洋・太平洋の
  熱帯海域にかぎられるようであるが、
  確実な情報は意外に乏しい。
  岩礁などの堅い海底地形に生息して、
  砂泥質の海底地形には認められない。
  サンゴ礁地形における礁緑部分の外洋側に形成される
  礁斜面に好んで生息する。

  市場魚貝類図鑑
  微小貝データベース

高梨さんは、遺跡から土器が出土するだけでなく、
ヤコウガイが出土するのを目撃する。
しかも、その数は夥しい。

なぜ、これほどのヤコウガイが出てくるのか。
しかも、不思議なことに、大量に出土するのに、
そこには消費の形跡がない。

そこで考古学者は、これは、貝塚ではなく、
地産地消のための製造でもなく、
交易のための製造跡でないかと考える。

具体的に聞いてみよう。

  ヤコウガイ大量出土遺跡における最大の重要事実は、
  大量捕獲されているヤコウガイの消費が島喚地域で
  あまり認められないという点に求められる。
  つまり単一原材が大量確保されているにもかかわらず、 
  製品として消費されている様子が判然としないところである。

  筆者は、当該事実を最大根拠として、
  ヤコウガイが島峡地域の外側世界へ運び出されていたと推測する。
  ヤコウガイの搬出先は、史料や螺細の検討で確認したとおり、
  高いヤコウガイ需要がある本土地域を想定するのが
  もっとも妥当であると考えられる。

  ヤコウガイ大量出土遺跡で認められた貝殻集積や破片集積も、
  原材供給を果たすための集積行為であると考えるならば
  納得できるのではないか。

  日本国内におけるもっとも古いヤコウガイ消費は、
  正倉院宝物の国産品と考えられる螺銀製品に求められるので、
  八世紀代までしかさかのぼることができない。
  さらにヤコウガイ関係記事が認められる一連の史料の成立年代は
  ほとんど九世紀以後のものであることから、
  小湊フワガネタ遺跡群等の七世紀代における
  ヤコウガイ大量出土遺跡をただちに本土側のヤコウガイ需要に
  直結させることはできないが
  (永山二〇〇言、裳島二〇〇〇、田中二〇〇五)、
  少なくと150も土盛マツノト遺跡・和野長浜金久遺跡等の
  古代並行期後半段階のヤコウガイ大量出土遺跡は、
  大型のヤコウガイ製月匙はほとんど製作されなくなり
  ヤコウガイ貝殻の供給に対応するために
  営まれたものと考えられるので、
  本土側のヤコウガイ需要におおよそ対応する動静として
  理解されてくるのである。

  そうしたヤコウガイ大量出土遺跡は、
  交易物資であるヤコウガイの集中管理による
  所産ではないかと推測される。
  ここに奄美大島北部がヤコウガイ供給地として注目されてくる。
  さらに七世紀代にヤコウガイ大量出土遺跡が 
  突然出現する様子も、ヤコウガイ貝殻を大量集積して
  ヤコウガイ製貝匙の大量製作をはじめとする
  貝器製作に特化していた事実からするならば、
  古代国家の南島政策による対外交流を契機として、
  螺鍋原材以前の前段階としてのヤコウガイ交易が開始されていた
  可能性があると考えられる。

  ヤコウガイ大量出土遺跡が七世紀前後から
  突然盛行しはじめる様子は、本土側のヤコウガイ需要に
  おおよそ対応する動静として理解できそうである。
  ヤコウガイ大量出土遺跡は、交易物資であるヤコウガイの
  集中管理による所産ではないかと推測されるのである。
  ここに奄美大島北部がヤコウガイ供給地として注目されてくる。
  (『ヤコウガイの考古学』高梨修

大和の文献にしばしば登場するヤコウガイ製品は、
奄美産ではないのか。
古代の地域ブランドとして、
高梨さんは仮説し、指摘するのだ。

発掘現場を精査し、当時の生活をおもんぱかる。
厳密さとロマンティックが同居するような作業だ。
ぼくたちは、ここにある奄美の表情が
生き生きと浮かび上がるのを感じないだろうか。

そういえば高梨さんは、現場に立ち会った興奮を、
本の冒頭で語っていた。

  その二年後の一九九七(平成九)年、
  名瀬市小湊フワガネク遺跡群の緊急発掘調査が実施されて、
  偶然にも筆者自身がヤコウガイ貝殻の大量出土遺跡を
  発掘調査する機会に恵まれた。
  掘り下げればどこからでも幼児の頭ほどもある
  ヤコウガイの巨大貝殻がつぎつぎ顔をのぞかせた。
  ヤコウガイ貝殻が調査区域一面に出土している様子は、  
  異様な迫力が漂う幻想的な光景で生涯忘れられないが、
  土盛マツノト遺跡の発掘調査成果を学ばせていただき、
  解決しなければならない課題を確認していた筆者には、
  さながら実験室のような発掘調査を実施することができた。

ここからは、本書でも繰り返し発言されているように、

  これは単なる食糧残滓ではない。

そんな高梨さんの声が聞こえてくる。




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コメント

こんばんは。
  明日の天気が気になります。
 「ちゅら玉なてぃ ふぅがまりてぃたばーり」
    前夜祭  で親族が
     きむぬっちょーち  祈ります。

  瞑想の写真ありがとう。
    今日は わりばまの上の土地で
      農作業してきました。
   
   耕運機が上手く使えるようになりました。

    今日はとてもいい日でした。

   夜光貝 の 歴史や
     螺鈿にかんして未だ勉強不足で
            これからもよろしく。
        

投稿: awamorikubo | 2007/10/08 20:48

awamorikuboさん

いい天気で改葬を終えることができました。
とおとぅがなし。

勝手に瞑想写真をあげてしまいごめんなさい。

思い返すと、相当、密度の高いを時間をつくっていただき、
本当にありがとうございます。
水の流れからみた与論の歴史。
とてもリアリティを感じました。

投稿: 喜山 | 2007/10/09 23:05

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