基礎としての「贈与」
そして「二面性」の分析で、
交易の主要形態を贈与交易(gift trade)、
管理交易(administer trade)、
市場交易(market trade)に大別している。
贈与交易は、集団双方が互酬関係において
結び付けられているものである。
(『ヤコウガイの考古学』高梨修)
これは、ヤコウガイの交易が
管理交易である仮説を導く前段として、
高梨さんがカール・ポランニーの考えを
引いている個所なのだけれど、
ここで少し脱線してみたい。
贈与交易は、集団双方が互酬関係において
結び付けられているものである。
このくだりに少し触発された。
ポランニーは、経済形態を、
互酬、再分配、交換の三つに分類しているのだが、
この、互酬、再分配、交換は、
贈与によって基礎づけられるかもしれない。
○ ○ ○
「贈与」を時間と空間に分解してみる。
贈与は、純粋に捉えれば返礼を期待せずに、
与えることのみで終わる。
贈与は、返礼を受けて打ち消されると考えれば、
時間的には終わりがない。
いま、時間を t とおけば、(t=∞)になる。
また、贈与は、汝の隣人を愛せよという聖書の言葉に
なぞらえれば、隣人に施すものだから、
空間的な距離は零のところでなされる。
空間を s とおけば、(s=0)である。
したがって、経済形態を f(t,s) と置けば、
(贈与)=f(t=∞,s=0)であらわすことができる。
「互酬」はどうだろうか。
互酬は、贈与交易に見られるように、
ある空間距離にある相互が、贈与を行い、その後、
贈与を受けた側が返礼を行う形態であると捉えられる。
そこで、時間も空間もある値を持つことを示せばいい。
(互酬)=f(t=h,s=m)
今度は、「再分配」である。
再分配も、贈与とその返礼に時間差と空間距離が生じる。
ただし、互酬と異なるのは、
空間距離が極大化している点だ。
再分配は、集権的な政治共同体の存在を背景に
できる経済形態だからだ。
そこで、再分配は次のように表すことができる。
(再分配)=f(t=h,s=M), M>m
同じように「交換」を考えてみれば、
交換は、空間距離を持つが、時間の差異が無い。
贈与とその返礼が同時に行われる贈与をさして
交換と呼ぶことができる。
したがって、「交換」は次のように表すことができる。
(交換)=f(t=0,s=m)
以上から、「贈与」を基礎にした「互酬」、「再分配」、「交換」は、
(贈 与)=f(t=∞,s=0)
(互 酬)=f(t=h,s=m)
(再分配)=f(t=h,s=M)
(交 換)=f(t=0,s=m)
とあらわすことができる。
ぼくたちはここで、「再分配」の特殊な形態
についても考えることができる。
アジア的な専制君主の場合、空間距離は無限大になる。
実際の距離は有限だが、専制君主下の民衆にとって、
君主との空間距離は大きいというより無限であるというのが
実感にかなっている。
そして、空間が無限大になると同時に、時間は零化される。
というのは、専制君主下において、返礼は発生せず、
民衆にとって、贈与そのものが返礼をも同時に意味するからだ。
専制君主の恵みに感謝して贈与すると言っても同じだからだ。
だから、「再分配」はここでは、「貢納」になっている。
そこでぼくたちは、
専制君主下の「再分配」である「貢納」について、
(貢納)=f(t=0,s=∞)
とあらわすことができる。
○ ○ ○
ポランニーが、「互酬」、「再分配」、「交換」として
経済形態を整理したとき、
市場社会を相対化できる視点を得られたことの
意義は大きかったと思える。
と同時に、ぼくにとっては、
「互酬」に意義が与えられるようでうれしかった。
ここでいう「互酬」からは、与論島でよく知っている相互扶助の姿が、
生き生きと思い出されるからである。
| 固定リンク































コメント
ポランニーは日本古代史の交易論では、
よくネタ本として使われてきたんです。
それで、わざとこういう紹介をしてみたのですが、
喜山さんならではのご紹介に、
僕は冷汗モノで読ませていただきました。
投稿: NASHI | 2007/10/09 22:01
NASHIさん
いえいえそんな。
ポランニーを思い出す機会になりました。
こうして高梨さんの考察のあとに触れると、
いろいろ触発されたのです。
ありがたいことです。
投稿: 喜山 | 2007/10/09 23:02