海路でヴェネツィアへ
たとえば、ハワイやグアムの海を見ても、
与論の海のほうがきれいだと思って恋しくなり、
国内でも山に旅すれば、ここには海がないと思い、
海に旅すれば、与論の海と比べて、これは海ではないと思い、
ひたすら与論に行きたい想いを募らせてきました。
思えばそれは随分と狭っ苦しい感じ方です。
ゆうべはそのことにつくづく思い至りました。
世界は広く、一ヶ月以上をかけて、
シベリアを横断しヨーロッパの果てまで行くこともできるのに、
ぼくは、よろんよろんと、そこに行くことだけが目的で、
その他の場所を楽しめないできたのですから。
ただ、狭っ苦しい、そう思い至らされたのは、
悪い感じではありませんでした。
むしろすがすがしい気すらしたかもしれません。
いつも頭は与論航路のことばかりなのは、
ワンパターンもいいとこですが、
それがぼくの前に唯一開かれた
世界にいたる通路なのかもしれない。
それは思い込みに過ぎないにしても、
納得が訪れるまでは固執せざるをえないでしょう。
○ ○ ○
空港からヴェネツィアに行くのに陸路と海路、
両方の行き方があるそうです。
海路のほうは、夜、黒く重くねっとりとした
海に揺られながら港を目指します。
そして、物質化された闇のような波を分けてゆくと、
やがて前方に光が浮かび上がるように見えてくる。
それが港で、その港の立ち現れ方を見せるために
海路があるようなものなのだそうです。
だから海路を勧めるのだけれど、
面倒で、誰も選ばず、陸路でさっと行くのだそうです。
素敵な話でした。ぼくも、世界へ至るのに、
海路を通ってヴェネツィアへ向かうような行き方がいいと思いました。
ぼくの与論航路も、そのような世界への行き方であればいいな、と。
さて、こんな思いにたどり着けるのは、自分一人ではできず、
あんとに庵さんとの対話の導きがあればこそでした。
渋谷は、てやん亭。
与論島から見れば、「世界の果て」の東京で、
不思議な奄美・沖縄の創作料理を楽しみながら、
「国境の南」のほうにある島話に花を咲かせたゆうべでした。
また、次回。それは、「世界の果て」の東京でか、
「世界の中心」の与論でかは分かりませんが、
また、心地いい島話ができればと思います。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
どもどもです。昨日は有難うございました。
喜山さんのおかげで島ホームシックが少し癒されました。
・・・というか、島ホームシックってかかりますよ~。ましてやそこで育った喜山さんなら尚更。つまり「狭苦しい考え」ではなく単なる島ホームシックですよ。
それの治療は島に行くことです。笑)
今やわたくしも世界の中心は与論です。
常に「島だとこんなことないのに~」とか「島はもっとあったかいのに~」とかぶつぶつ考えてます。
また島話を致しましょう。宜しくです。
投稿: あんとに庵 | 2007/10/31 23:53
あんとに庵さん
ああ、おかげで数十年らいの凝りがほぐれる感じです。
そうか、島ホームシックだったんだ。
ありがとうございます。
いつか、アイギを見ながら話してみたいですね。
その前に東京で、ですが、よろしくです。
投稿: 喜山 | 2007/11/01 21:45