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2007/10/03

奄美諸島史の逆襲的問題提起

『ヤコウガイの考古学』の白熱した個所を挙げてみたい。
それは冒頭すぐにやってくる。

  琉球弧に対する本土地域の異域認識は、
  古代~中世までさかのぼることができる。
  史料のなかに、異域として記されている当該地域の様子が
  多数認められるからである。
  国土の外側地域には異域が存在しているという
  都人の地理認識がうかがい知れる。
  そうした国土認識をめぐる研究成果を参照していく過程で、
  国家境界が奄美諸島付近で伸縮を繰り返している事実を確認した。

  現代においても、アメリカ軍政府による占領統治の時代、
  奄美諸島の南北で国家境界は揺れ動いたではないか。
  奄美諸島が列島南縁の国家境界領域に当たるという問題認識は、
  きわめて重要であると考えられる。
 
  また奄美諸島は単なる異域ではない。
  古代~中世の文献史料のなかに、ヤコウガイ・赤木・櫓柵などの
  南方物産が都人たちに珍重されている様子が確認できる。
  南方物産は、想像以上に膨大なる需要が存在していたと考えられるが、
  奄美諸島でほとんど獲得できるわけであるから
  沖縄諸島までわざわざ行く必然性はあまり考えられない。

  国家境界領域となる奄美諸島は、
  琉球弧における亜熱帯地域の北限でもあり、
  琉球王国成立以前における琉球弧の歴史舞台において、
  一大交易拠点として主役を演じていた時代がある。

  本書では、奄美諸島における小湊フワガネク遺跡群(奄美大島)、
  カムィヤキ古窯跡群(徳之島)、山田遺跡群(喜界島)等の遺跡を通じて、
  そうした歴史に接近してみたいと考えている。

  琉球弧をめぐる従前の歴史学研究は、
  琉球王国論に収斂される潮流が強く、
  奄美諸島や先島諸島は独立国家が育んだ
  社会文化の地方展開を知るための補助資料として対象化されてきた。
  そうした沖縄本島中心史観とでもいうべき歴史理解は、
  国家誕生以前から沖縄本島が歴史舞台の主役で
  在りつづけてきたような錯覚さえ生み出しはじめている。

  沖縄側における考古学や歴史学の専門家たちが、
  そうした視点で奄美諸島と先島諸島を見ているかぎり、
  発見的研究の展開は難しいと考えられる。

  琉球王国論に収赦されてしまう琉球弧の学術研究をめぐる
  支配的趨勢のなかで、ヤコウガイ大量出土遺跡をはじめとして
  奄美諸島に分布するために看過されてきた考古資料が多数存在する。
  そうした知られざる考古資料の翻訳作業を通して、
  奄美諸島史の歴史認識を考察することが本書の第二の課題である。
  奄美諸島史に対する歴史認識について、
  今、筆者は確認の途上にある。

  筆者はまだ出発点にいるにすぎないが、
  筆者のまなざしに映りはじめた奄美諸島史の姿を素描してみたい。
  新しい琉球弧の歴史は、琉球弧の島峡を相対的に比較するなかで
  奄美諸島と先島諸島から記述されるであろう。
  そのとき、奄美諸島史の逆襲的問題提起がはじまるのだととらえている。

奄美は国家の境界を浮遊するポジションにあったことで、
国家から時にあいまいに時にあからさまに
疎外される境遇を生きてきた。

そしてそのことに屈折せずに、まっすぐに立ち上がろうとする言説を
ぼくたちはなかなか持てないできた。

まっすぐに立ち上がろうとしたとき、
琉球王国論に収斂されがちな琉球弧論は相対化されなければならない。
まったくその通りだと思う。

高梨さんが「奄美諸島史の逆襲的問題提起」と言うとき、
味わったことのない爽快感が吹き抜けていくようだ。
できれば、奄美の人に特に味わってほしい爽快感だ。


Yakugai_archaeology_3













『ヤコウガイの考古学』



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