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2007/10/27

見守る、よりも、励まされる

高校の子の文化祭に「新世代の息吹き」を感じ、
のびのびした表現に感心させられらたけれど、
中学の子の音楽祭(合唱コンクール)も同じだった。

Concours_3











子どものいる一年生のクラスには、
変声期を終えていない男の子の声に頼りなさがよぎる瞬間があるものの、
コーラスをきれいに整えていて、合唱になっているのに感心した。

でも、二年生の最初のクラスで、
そんなことを吹き飛ばすくらいのレベル差を感じさせる力強い歌声。
のびのびして飛ぶような合唱だった。

この年齢の一年というのは、
はっきりした段落差をつけるほど、
明らかな違いののあるのを実感した。

ところがことはそれに終わらない。
三年になると、もっと違う繊細さとたくましさが加わった。
課題曲と自由曲の合間にも拍手が終わり、
しまいには、紹介だけで歌う前から拍手が起こる。
三年生の貫禄だった。

午後の軽音楽部、吹奏楽部も同じ、
なんてのびのびと、自由に表現しているのだろう。
三十年前の、教師生徒もろともしゃっちこばったなかでの
自分たちのつたない表現からは隔世の感があって、
こんな自由を知っている彼らの、これからの表現が楽しみになる。

自己紹介にしてもそうだ。
ぼくたちのころは、「一生懸命がんばります」というのが関の山だったが、
「コーラスの美しさを楽しんでください」
「努力の成果がどうなったか、お聞きください」などと、
しっかりプレゼンテーションになっているのだ。


子どもの催しのとき、毎回感じるのは、
父兄が同席するのは、子の成長を楽しみ見守るというよりは、
現状維持、ともすれば退行の日々になりがちななかで、
毎日の時間を成長に当てている子ども達から励ましをもらう、
そういう場に思えることだ。

今回も、それは同じだった。

子どもたちは、親を励ますために、
文化祭という名の場を設けているのではないのか。
わが子の歌う初々しい立ち姿を思い出しながら、
反芻するのは、そんな実感だ。



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コメント

娘は高校の間、合唱をやっていました。
小学校のとき、ピアノの練習を続けられずに挫折した娘が、自分で曲を作り、何曲か伴奏も。涙腺の緩い私は、毎年泣かされました。

今年は息子の運動会、組体操で泣かされました。

確実に成長している子ども達の姿からは、いつも「この1年、私はどれだけ成長できたんだろう」と考えさせられ、「お母さんもがんばって!」と励まされてます。

同じ速度で、とはいきませんけどね(^^;;

投稿: sarah | 2007/10/27 23:17

sarahさん

合唱の他に、伴奏、指揮についても表彰していまいたが、
そうするのが当然と思えるほど個々、すごい表現だなと感じました。

そういう姿を見せてもらえるのは嬉しいことですね。

投稿: 喜山 | 2007/10/28 08:17

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