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2007/10/06

奄美諸島の土器編年

スセン當式土器と兼久式土器の分類と編年の成果をもとに、
高梨さんは、奄美諸島の土器の編年を試みている。

ちなみに、「並行期」という言葉が出てくるが、
この言葉の使い方にも背景がある。
奄美とは互いの共通性を知らぬ者たちと言いたくなるほどに、
共有するものの共通認識を育ててきていないのだが、
時代区分もそのひとつであり、
高梨さんはそれで、本土のたとえば、
弥生時代に当たる歴史時間を指して、
「弥生時代並行期」と呼んでいるわけだ。

ぼくは、奄美と、本土、沖縄とのつながりとして成果を追ってみたい。


  ■縄紋時代晩期並行期
  弥生時代並行期の直前段階における土器様相は、
  沖縄諸島とよく共通した特徴が認められる。
  きわめて強い地域色を備えた土器群が盛行している。

  ■弥生時代並行期
  沖縄諸島に認められる尖底土器はほとんど認めらず、
  土器様相の相違がいちじるしくなる。
  九州地方における土器文化の影響が強く認められるようになる。

  ■スセン當式土器段階(古墳時代並行期)
  奄美諸島の土器変遷のなかで、もっとも判然としない段階である。
  発掘調査事例がいちじるしく僅少であるため、
  標本となる資料に恵まれず、土器様相がほとんど明らかではない。
  若干の資料にうかがわれる土器様相からは、
  前段階に引き続き九州地方における土器文化の影響が強く認められ、
  沖縄諸島の土器様相と相違がいちじるしい。
  既知の土器型式としては、
  いわゆる「スセン當式土器」が知られているが、
  実態が明らかではない。

  ■兼久式土器段階(古墳時代終末~平安時代後期並行期)
  古代に並行する当該段階の土器様相は、
  ふたたび沖縄諸島と類似するようになる。
  しかし、前段階までに比べて、
  九州地方の土葉化の影響は顕著ではない。
  地域色を強く備えた土器群が、盛行するようになる。

  ■類須恵器段階(平安時代後期~鎌倉時代並行期)
  兼久式土器は消失する。沖縄諸島でいわゆるグスク土器
  と呼称される鍋形・壷形の土器群が奄美諸島にも
  存在するようであるが、実態は明らかでない。
  最近、奄美大島の宇宿貝塚、小湊フワガネク遺跡群、
  喜界島の山田中西遺跡(喜界町)、
  徳之島の小島後竿遺跡(伊仙町)、
  沖永良部島の内城友竿遺跡(和泊町)等で、
  実態が明らかにされていない在地土器の出土事例が
  相次いで確認されはじめている。
  十一世紀代に徳之島で窯葦産が突然開始され
  (カムィヤキ古窯跡群)、当該窯跡の生産品
  (類須恵器もしくはカムィヤキと呼称される)が
  琉球弧全域に流通するようになる。
  さらに白磁(玉緑口縁碗)・滑石製石鍋・布是痕土空焼豊)
  も同時に流通している。
  こうした動態が、奄美諸島では土器文化の終焉を
  加速させていくようである。
  (『ヤコウガイの考古学』高梨修

これを見ると、土器としてみた奄美は、沖縄と共通した段階から、
本土の弥生期に九州とのつながりを持ち、
ふたたび沖縄とのつながりを持つ段階に入った交互の動きが
潮の満ち干のように感じられてくる。

ぼくはおぼろげながら、
奄美の大和の交流のはじまりを見る思いだ。

ちなみに、与論島の麦屋上城遺跡は、
縄紋時代晩期並行期に属している。

与論島には、いつ、人があの砂浜を踏んだのだろう。
そういう当てのない想いにも、
遠く向こうから手がかりが伸びてくる感触もやってくる。

高梨さんの編年を引こう。
これを見ると、分かりやすい。


Amamidoki

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コメント

喜山さん、またまたご丁寧な紹介をいただき恐縮です。

この1~2年で、土器編年についても、さらにいろいろなことがずいぶん解ってきました。
特にスセン當式土器については、昨日のコメントのように、だいぶ自信を持てるようになりましたよ!

土器文化の変化を追いかけると、琉球弧における奄美諸島の位置というものが解るような気がします。

投稿: NASHI | 2007/10/06 21:30

 クオリアさん

 麦屋上城のこともありますが、土器の話のもとになる土の
ことです

 麦屋地域のことを、インジャバルといいますよね
インジャ原、「インジャ」という頭髪を洗う土があった地域なので、インジャ原、インジャンチュ(インジャの人)という説もあるようです

 赤佐の方から眺める麦屋地域は、与論発祥の文化を持って
いる先進地であると同時に、「隠者の住む村」ではないかという神秘的な、懐の深さを感じさせます

 上城の土器は、良質な土と豊かな水があったのではないかと、小さな島の小さな夢が、過去と未来に向かって拡がるのは、まさに、「ウリャ イミデーヤ」と思ったりします

投稿: サッちゃん | 2007/10/07 00:42

NASHIさん


着実な理解の進展、いいですね。
土器編年の理解が、奄美像の基礎工事に思えてきます。

投稿: 喜山 | 2007/10/07 17:33

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