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2007/10/09

再会と別れと-21世紀の洗骨

夜明け前、寺崎の端の東の空が、
そこだけ赤紫に染まる頃、
ぼくは改葬する一人に加わらせてもらった。

ガンプタを取り、寺崎の白砂を丁寧に取り除いてゆくと、
棺が現れる。よかった、崩れていなかった。

棺が開かれると、
そこには亡き、祖父がいた。

いや、亡き、というのは本当は正確ではない。
棺を開ける前に、それは揺さぶられて、
祖父に、これからチュラクナシをすると告げるのだ。

頭から取り上げて、洗骨を行う。
白砂を除くのも洗骨をするのも、
まずは祖父が愛した子どもたち、
ぼくのウジャンカ、ウバンカたちだった。

チュラクナシをすると、祖父のきれいになった頭が現れた。
瞬間、祖父の顔がそこに蘇る。
ぼくも少し抱かせてもらった。
初孫として抱いてもらったぼくが、
祖父を抱くのは、当たり前のことだが初めてのことだった。
ぼくは、懐かしい優しい気持ちに浸ることができた。

そこにいる誰もがそう感じているように、
祖父は亡くなった人ではなく、
その瞬間そこにいて、再会を喜んでいるのだった。

チュラクナシしながら従弟は、
洗っているとき、水が温かかったと話していた。
そうだと思う。

再会を果たしたあと、
祖父のチュラクナシを直接していない孫娘が
もっと前に亡くなった祖母の頭を拭いてあげる。
考えてみれば、祖父と祖母は、
三十二年ぶりに寄り添うことができる。
そんな再会の場でもあることに気づいた。

改めて納骨したとき、
祖父の身体イメージはまた少し希薄化してゆく気がした。
再会のあとの、お別れだ。

そして寺崎の海が輝き始めるころ、
ガンプタのあった白砂を地ならしして、
一行は寺崎を後にした。

 ○ ○ ○

ぼくはといえば、
小さいころ、祖母の死に目にも葬儀にも立ち会えず、
祖父の危篤には駆けつけられたものの、
葬儀には行けなかった積年の心残りを果たすことができて、
ほっとしている。

こんなに優しい行いも、
都市化によるパラジ関係の希薄化と個人化の進展で、
火葬場が生まれ、いまや島人の9割は火葬を選択し、
チュラクナシは急激に行われなくなろうとしている。

冠婚葬祭の負担が厳しいからと近代用語は説明するが、
本当は、他界は存在しないという他界観の変遷が、
チュラクナシにまつわる儀礼を消滅に追いやっているのだ。

でも、ぼくたちは、再会と別れのチュラクナシの優しさを、
どうやって受け継いでいけばいいのか、
その課題を手にしているのだ。

久しぶりにパラジたちにお会いして、
そう思わずにいられなかった。

それがぼくのチュラクナシ経験だった。


Aatiradaki



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コメント

おはようございます。

天気にも恵まれて よかったですね。

 これで ユンヌンチュの魂を大切にする気持ちがわかって
いただけたと思います。

 再会できたと
     本当に思えるのです。

   改葬する度に その人に会える気がします。

 寺崎  が  もうひとつ明るくなった気がする。
           ありがとう。

投稿: awamorikubo | 2007/10/10 04:55

awamorikuboさん

折に触れ、改葬の意義を教えてくださり、ありがとうございました。
行けて本当によかったと思っています。

魂の島という意味も、わかった気がしています。
トオトゥガナシ。

投稿: 喜山 | 2007/10/10 08:44

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