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2007/10/01

百日祭の百枚写真

父の百日祭で、つかの間、東京を離れていた。
母と兄弟だけで集まった。

家に行ったら、母がだいたい1m×50cmのパネルに
父や子どもたち孫たちの写真を貼っていて、
その作業を引き継いだ。

ビデオ編集流行りの今日び、
プリントした写真を切った貼ったするのは、
意外に根気作業だというだけでなく、
写真が痛まないように気遣いながら一枚一枚扱う
アナログならではの緊張感があって、それが返って新鮮だった。

写真をランダムに並べてみると、
父の子のぼくたちが小さいときと孫たちが、
顔だけでなく、笑顔の作り方まで似ているのに気づいたり、
若い頃から晩年の父を追ってゆくと、生涯の完結感がやってきたり、
弟の小さい頃の写真をみて、自分と勘違いしていたり、
楽しい発見がいくつもある。

しかもできてみると、食い入るように眺めても、見飽きない。
きっとそれぞれの写真に思い出が詰まっているから、
百枚の写真なら、そこに百個の物語が見えてくるからなんだろう。

今回は、それが何より、父の供養に思えるのだった。


Photo










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コメント

顔だちや仕草、背格好など、父や母に似てくる兄弟たち。
家族でお互いを見ながら、家族の思い出を語らずにはいられないです。
家族の「血」とは、なんと不思議なものでしょう。
思い出を語る「装置」なのかもしれませんね。

亡くなられたお父様も、ご一緒にその写真を眺められたにちがいありません。

投稿: NASHI | 2007/10/01 22:12

NASHIさん。

あたたかいメッセージありがとうございます。

びっくりするのは、教えたわけでもないし、
やっている姿を見たことがあるわけでもないのに、
蓋を開けてみると同じことをやっていた。
そんなことですね。

血の流れを感じないわけにいきません。

投稿: 喜山 | 2007/10/02 13:33

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