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2007/10/15

喜界島・奄美大島勢力圏

喜界島は南下する倭人勢力の拠点となった。
そう、『ヤコウガイの考古学』は仮説する。
そしてこの勢力による国家造山運動の萌芽のような動きは、
琉球王国形成に先立つものだった。

ここからは、大和との交流手として生きた
奄美の姿が垣間見えてくる。
それは、島津侵攻によって始まったのではなく、
古代にはじまっていたのだ。

喜界島は、奄美大島以南にゆるやかに連なる
琉球弧の入口に位置する。
そのポジションゆえ、
南下する倭人勢力の拠点となったのだ。

こうした位置がもたらした姿が明らかになるにつれ、
喜界島は、いま自己像を大いに更新しつつあるはずだ。


高梨さんの整理を引いておこう。

  2 喜界島・奄美大島勢力圏
  (前略)喜界島・奄美大島における当該段階の
  発掘調査成果には沖縄諸島であまり確認できない考古資料が
  集中分布する特徴的様相が認められ、
  そこからうかがわれる交流の様子は文献史学側の
  研究成果と整合的に理解することが可能になりはじめている。

  当該段階における喜界島・奄美大島・徳之島等の一部の
  島嶼社会は、単なる漁撈採集経済社会に止まるものでは決してなく、
  すでに階層社会が営まれていた様子を示していると考えられる。

  とくに古代後半段階から喜界島・奄美大島北部に
  形成されはじめる政治的勢力の存在は、
  後に国家形成にいたる沖縄本島の動態に
  先行するものとしてきわめて注目されるのである。

  『日本紀略』や『小右記』に記された十世紀終末の
  奄美島人による太宰府管内諸国の襲撃事件や『吾妻鏡』に
  記された十二世紀後半の阿多忠景の貴海島逐電事件等、
  古代終末段階にキカイガシマをめぐる動態が集中して
  認められる事実から、キカイガシマの拠点的機能を次第に
  喜界島が果たしはじめていたのかもしれない(永山二〇〇四)。

  徳之島におけるカムィヤキ古窯跡群の出現も、
  そうした動態が展開していた時期にまさしく相当する。
  カムィヤキ古窯跡群が出現する十二世紀代の直前段階には、
  すでに喜界島に倭人の拠点的遺跡(防御性集落)が
  出現していたと考えられるのであり、喜界島・奄美大島北部に
  形成されはじめた政治的勢力圏が当該地域の
  経済的権益を掌握していた可能性はきわめて高いと思われる。
  (『ヤコウガイの考古学』高梨修)

Kikaiamami














そしてこれは、喜界島の自己像更新であるとともに、
琉球弧の自己像更新につながると思える。

谷川健一は、『甦る海上の道・日本と琉球』で、
琉球王国の建設は、
南下した倭人勢力によるものだという仮説を提示し、
同時に、そのとき奄美は先進地域として重要な役割を担っていたと
指摘していた。

 ※「蘇る海上の道」

というより、奄美の考古学の成果をもとに谷川は語っているわけで、
順序は逆、考古学成果のあとに谷川の仮説は来るものだ。

ところで、この谷川の仮説を引き継ぐと、
「喜界島・奄美大島勢力圏」は、琉球王国に先立つ、
倭人勢力の拠点だったことになる。

倭人勢力は、最初、喜界島を拠点におき、
ついで、沖縄本島を拠点に、国家を形成した。
こういう言い方も可能になる。

琉球王国も喜界島・奄美大島勢力も、
南下する倭人が実現したものだ。
自分の直観に過ぎないけれど、
こう仮説するのは納得しやすい。

琉球弧は内発的には国家を形成する必然性を
持ってなかったと、ぼくは考えてきたから。

だから、やはりそうか、と思う。



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コメント

今晩は。

喜界島の話しは面白いですね。
今年3月に視察に行って、いい島だとの思いがますますしました。
 人間性もいい島です。
与論島の人間性ととてもよく似てると思っていました。
遺跡の発掘によって新しい歴史観が開けたら楽しいです。
考古学には興味はなかったのだけれど、
喜界島が話題にでてきて興味が湧いてきました。

 今日、昼前に沖まさ  さんにお会いしました。
人とひとのつながりも又 面白いものですね。

投稿: awamorikubo | 2007/10/15 19:34

awamorikuboさん

喜界島、与論の人柄と似ているんですか。
親近感、湧きます。

沖兄も、与論の人だなぁと思わせてくれます。

人柄の連なりは、島々の宝ですね。

投稿: 喜山 | 2007/10/16 08:47

鉄や稲と共に政治的勢力が上陸した喜界島。
奄美大島の笠利半島には、アマンディー(奄美岳)と呼ばれる奄美大島創造の神が降臨した聖地があり、そこから喜界島が一望できます。
そのシチュエイションは、まるで齋場御嶽から久高島を見るかのようです。
このことについても、まじめに考えているんです。

投稿: NASHI | 2007/10/16 20:45

NASHIさん

確かに、そう見るとき、久高島と喜界島は同位相です。
喜界島は、色んな役割を担っていますね。

思うのですが、発掘された城久遺跡につて、
島に伝承は残っていないのでしょうか。

投稿: 喜山 | 2007/10/16 21:37

喜山さん、そのことについてこれから喜界島の方たちが調べてくださることを期待しているんです。

平家伝説、為朝伝説、いずれも喜界島には濃密に伝承されています。そのことがやはり何か関係があるのではないかという予感はありますよね。

投稿: NASHI | 2007/10/16 23:34

NASHIさん

巨大な建造物があり、政治勢力との交流があれば、
そのことは、神話か民話か伝承か、残っているはずですね。

少なくとも、島の人の身体は「知っている」はずです。
島の人の自己発見につながるといいなと思います。

投稿: 喜山 | 2007/10/17 09:03

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