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2007/09/15

アヤティダ - 綾太陽

  あぁ本当に私は此の世を去り行く者かと思えば
  何もかも目に見えるものは皆々懐かしくなって来るのである。
  福木よさよなら・・ガジュマルよさようなら・・
  石よ、草よ見えるもの皆にさようならを告げたのである。
  そして私はこの世を去り行く別れの苦しさ、哀れさを
  身の一杯味わったのだ。
  それでもまだ私は生きている。
  しかし起き上がろうとしてもいっこうに身動き出来ない。
  だから寝ていて目は上を見ている。
  あぁ・・・ガジュマルの上にお日様が照っている。
  私の上にはアヤティダが流れてくる。
  (『無学日記』池田福重)

『無学日記』は、その冒頭、母の三十日祭を済ませたばかりの
池田さんが、四十を目前にして、作場の砂糖小屋の前で倒れる。
動けない。そんな場面から始まる。

  病名はわからなかったがわかるのは暗闇の中に大木と大石が
  私を取り囲みいくら出ようとしtも出ることができない。
  とうとう身動きもできなくなるまで大木と大石に押しつけられたのである。

動けない池田さんは、まわりにある植物たちに別れを告げる。
そんな池田さんに、アヤティダが流れる。

アヤティダは、「風に揺れるこずえを通し交錯する太陽光」として、
「綾太陽」という字を当てている。

アヤティダ、「綾太陽」。

美しい言葉と字だと思う。「木漏れ日」とは何か違うものに思えてくる。
解説では、「視覚的に一種の幻覚を誘うため惑わす意味を持つと思われます」
としている。

  方言にも「ぴちゅ あやち」人を惑わしてと使われています。
  また、生まれ立てや初々しい意味でも使われ、
  雛(ひな)鳥の羽を綾羽(あやぱに)とも表現しています。
  この場合誕生や希望の未来が開ける意味にも解釈できましょう。
  沖縄民謡で厳粛な雰囲気で歌われる「鷲ぬ鳥」の歌詞に
  巣立つ鷲鳥の羽をアヤバニ(与論ではアヤパニ)と表現し
  明るい希望の未来への飛翔の意味として歌われています。
  蝶々のことを綾パピルといいますが
  これは模様から名付けられたと思います。

「アヤ」が「人を惑わす」意味にも用いられることは、
アヤティダというときの、「アヤ」のニュアンスをよく伝えているかもしれない。
それは、人を夢か現か分からない入眠幻覚に誘う。

ぼくも思わずガジュマルやクニプ(みかん)の木の下で、
アヤティダを浴びてぼんやりしていたことを思い出す。

そうだとすれば、「アヤ」は、「綾」というだけでなく、
「危うい」や「怪しい」という「危」や「怪」とう字義の広がりを
持つのではないだろうか。

解説の喜山康三さんは、この「アヤ」から、
奄美大島の「アヤマル岬」の語源を解こうとしている。

ぼくもここは考えて、いつか考察を出したいところだ。


アヤティダ、綾太陽。魅力的な言葉だ。



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