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2007/09/13

海霊イシャトゥ

昔は、イシャトゥにも簡単に出会えたのだ。

  さて、ここの大きなイノーウシに立って餌を投げ込むと同時に
  私の東側のピシバナから年下の若者がこちら向かって歩きながら
  「イシャトゥ ドオー、イシャトゥドオー、
  ハタパギ ドオー、ハタパギドオー」
  と大きな声で怒鳴りながらこちら向かって来る。

  私は夜の海でこんなクチバシ(言い方-引用者注)を
  使ってはいかんと思うその瞬間私が立っている
  大きなイノーウシがゴッソン、ゴッソンと崩れ落ちて行くのである。

  その時私はこれはいかんと向こう三、四間も離れた所の
  イノーウシに力一杯跳んだのである。
  ところが左手だけはようやくすがり付くことが出来たが、
  どうですか左腕の内側は包丁でナマスを刻んだように
  みな切り裂かれているではないか
  真っ黒い血が流れ出ている、
  夜のせいか血は赤くは見えなかった。

  これは大変だと私は舟に駆けつけて行き乗った。
  その後の自分はもうどうなったか判らない。
  気が付いたらトウーシの浜であった。
  三人の方々はすこしでも近いトウーシに早く着けようとして
  当たり前のトウマイであるシバナリには漕がず
  トウーシに舟を漕いだのだった。
  私が気付いて起きたらトゥクヤカが
  ワヌハンギティソーラン(俺が背負って連れよう)とおっしゃった。
  その時私はナイギサイドーアイカリギサイドー
  (なんとかなりそうだ歩いていけそうだ)と
  ゆっくり歩いて来た事がある。
  夜でも昼でも海での言葉使いは慎まねばならない、
  特に夜は注意せねばならぬ。

  話は後に戻るが私が立っていた崩れ落ちた大きなイノーウシ
  それが本当に崩れ落ちたかその後私は行ってみたのだ。
  それがなに!崩れ落ちるものか
  イノーウシが崩れ落ちると見せ掛けて
  あいつが私を取って投げたのであった。
  (「夜の海 言葉使いに注意」『無学日記』池田福重)

ぼくたちは民話を読んでいるのではない。
これは、『無学日記』の池田さんの回想録なのだ。

でもこれはまるで、池田さんが主人公の民話のようではないか。
海の妖怪イシャトゥと一戦交えた、ことの顛末。
イシャトゥのいたずらもなかなかに激しい。

与論島では、ついこの間まで、
物の怪とも濃密な関係があり、
彼らの存在が肌身に感じられた。

池田さんの回顧はそう教えてくれる。
実際、『無学日記』の影の主人公はイシャトゥと言っていいほど、
池田さんが海に行くたびに現れては漁のわじゃく(邪魔)をする。
池田さんは用心が効を奏したり、ひどい目にあったり、
時には命からがら逃げて浜に辿り着くのだった。


あなどるなかれ、イシャトゥ。


 

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コメント

クオリアさん

 相変わらずの八面六臂・・・脱帽です
ところで
「四百年当時の与論島住民は無学文盲の人達が多かった筈なのに、
沖縄や大島をはじめ本土各地の比べても絶対に見劣りのしない名曲
を次々に生み出した与論の先人たちの非凡な才能に対して深甚なる
敬意を表したい。」(与論町詞 P1165)

「無学文盲」と「非凡な才能」という相反する評価が並存して矛盾
を覚えないところが、ユンヌンチュの大らかさなのでしょう

「絶対に見劣りのしない名曲」があるという
それでは、「与論小唄(ラッパ節)」は与論の名曲なのか?

 「与論小唄(ラッパ節)」は、与論島に生まれた名曲です
『十九の春』は、「与論小唄」の真似唄です、これも、いい唄です
 
 「『十九の春』」を探して」(川井龍介)は、サンシヌも
弾けない、ユンヌ唄の一つも唄えない、まして、ユンヌ言葉
も話せない、分からないタビンチュが「ユンヌンチュ」を愚弄
している悪本だと、私は思っています

 NHKの「世紀を刻んだ歌-十九の春-」の出鱈目な番組の
編集の取り消しを求めています
少なくとも、内容の誤りを認めるように要請しています

 近いうちに、我がユンヌのうた「与論小唄」への「ドゥッチュイムイ」を公刊するつもりです
直接の関係者や資料が少なくなっているのが現状です

 川井龍介のようなプロの物書き屋にふんだんに経費を与えるNHKのような資金は持ち合わせていません

 資料の不足は、自らの責任で判断して、所詮は
「ドゥウドゥハミン」な「ムイ」のを述べます

 与論の島にとっては、功罪相半ばかもしれませんが、ドウカ ダンディドウ エービュークトゥ

 

投稿: サッちゃん | 2007/09/13 23:01

サッちゃんさん、コメントありがとうございます。

過剰と過小に揺れる島人の自己評価を、
情愛に満ち、知恵が深いというような、
豊かさに変えたいと思っています。

そのためには、志ある個の声が必要です。

公刊に向けてできることがあればお申し付けください。
お手伝いしたく思います。

投稿: 喜山 | 2007/09/14 09:01

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