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2007/09/12

洗骨と戦争-抱きしめたくなるゆんぬんちゅ

池田福重さんの『無学日記』を読み返している。

『無学日記』は、大正二年から平成二年までの76年間を生きた
池田福重さんが残した日記を、
生前、本人から了承を得ていた喜山康三さんが
平成八年に書物として発行したものだ。

たとえば、『昭和十九年長男坊は今年五才になった』
と題された章がある。

  育く育くと伸びて本当にかわいい子であった。
  三月にキンエンになりそんな病気のために四月一日に
  ついにこの世を去ったのである、
  後三年もなれば小学校に入学というのにそんな四月一日に
  あの世の学校に入学したのである。
  そんな時我がかわいい子は死んだのではない。
  どこか遊びに行ったのだ。どこか遠い所へ遊びに行ったのだ。
  いつかはきっと帰ってくる、いつかはきっと帰ってくると
  私はそんなことばかり信じていた、
  それから二ヶ年が過ぎた。
  いよいよ改葬する日がきた、
  さて行って、チュラク(美しく-改葬したの意。引用者注)なした。
  私はゴウラチュブルガマ(汚れた小さな頭蓋骨。引用者注)を
  手の上に載せて抱いた。
  あぁ私の子は本当に死んだのか、
  このとき初めて死んだのだとはっきりしてきたのである。
  あぁなんと不幸なことであろう、
  これは私の命ある限り忘れることは出来ない。

  それから十月に入った、十日よりアメリカの飛行機が茶花の
  海の上をピャヒラピャヒラ、ダンダンと騒ぎ廻る。
  まず初めにヨロン丸各学校民家といったように焼き払う。
  こんな悪年悪夢これがまた一生忘れられない。

『無学日記』は出版を意図して書かれたものではない。
そして喜山康三さんも、基本的に原文そのままにしていると注釈している。
だからぼくたちは、これが素直な日記であると思って読んでいい。

そしてこれは実際に、
ゆんぬんちゅの表情が素直に伝わってくる日記だと思う。

引用した昭和十九年を回想した小文からは、
親子の濃密で豊かな情愛が溢れてくるようだ。
それとともに、「洗骨」が、死を段階化していることも分かる。
肉体の死は、すぐに死の受容とはならずに、
洗骨によって、死の受容はやってきている。
この間、二年。

池田さんにとって息子さんの死は、
二年後にやってきているのだ。
それが、「チュブルガマ」を抱く行為の内実をなしている。

この意味では、火葬とは、肉体の死と、死の受容を
同期化させる葬法なのかもしれない。

ぼくは、洗骨、チュラクナシ、美しくする行為は、
やさしい儀礼であると思うのだ。

 ○ ○ ○

そして、そんなやさしい儀礼のある地にも戦争はやってきた。

与論島は、隣の沖縄本島の地上戦を、
恐怖におののきながら目撃した地だ。

だから、そして特に、戦争を知らないぼくなどの世代は、
沖縄の戦争に目を奪われて、
与論島の戦渦を等閑視しがちなのだけれど、
わが与論島にも、空襲のあったことを忘れまいと思う。

与論島も、アメリカは、今も六十年前も変わらず、
いざとなれば、戦士、民間人の区別なく攻撃する国家であることを
経験した地なのである。

 ○ ○ ○

さて、池田さんは、ご自身の不幸を書いているのだけれど、
その内容からは、優しさが痛切に迫ってくる。

チュブルガマのように、
抱きしめたくなるゆんぬんちゅの姿だ。

そんな池田さんの『無学日記』を、
折に触れて紹介していきたい。



  

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