まともさと清潔さとユーモアと
映画『めがね』を観るのに、これを観ないわけにいかないだろう、
ということで、前作『かもめ食堂』を観た。
映画が進むにつれて、やってくるのは、
まともさ、清潔さ、ユーモアだった。
いい作品だ。でも、いつものように、それならなぜ、どのように、
心を動かされたのか、そうした説明を、
いまは少し免除させてもらおうかなんて、
そんな気持ちになるのだった。
そのくせ、この作品を観たらその足で、
次は与論島を舞台に映画を撮ってください、と、
そう荻上監督にお願いしたくなるような感じだ。
そういえば、エンドロールで流れる井上陽水の「クレイジーラブ」は、
一見、不似合いな気もするが、とても効いていた。なぜだろう。
ま、今回は、それも深入りせずにいたい気がする。
まともであることはとても大事で、
その動かなさ、変わらなさが、ときに人を救う。
それは地軸のように、それがあるから、
回転していられるというようなものだ。
ぼくも、糸の切れた凧のように飛んでいってしまうきらいがある。
まともさは、とてもありがたいのだ。
追記
映画『かもめ食堂』のまともで清潔でユーモアのある世界観は、
公式サイトにも、素直に反映されていました。
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コメント
クオリアさん
がしがよ
ユンヌンチュナマジラヤ ションヌムイナガ アイクトゥヨウ
"Silence is truth"
ユンヌヌピチュンチャーヤ ウトゥルシムンデール
ワナ ガンチムイシガ イチャーゲーラヤ
投稿: サッちゃん | 2007/09/16 20:40
サッちゃんさん。
ぼくはには洞察を言う蓄積はなく教えていただく一方です。
そうなんだなあと思って読んでおりました。
でも、確かに、盛窪さんもユーモアの中に真実を語られますね。
ゆんぬんちゅ像、ぼくもしっかり掴んでいきたいです。
投稿: 喜山 | 2007/09/17 08:40