「たった一つの許されたヌスドウ」
大正七年七才の時のことである。
夕食を早めに済まし初めてのヌスドゥ、
胸をドキドキ躍らせながら家を出て行った。
目的の家の門に入りそこの庭を見た。
トーグラの前の庭にチキウシがすわっている
「よし!」あれだ、私はひと走り走って行き
チキウシの中を覗いた。
チキウシの中にはお膳が置かれている、
そのお膳の真ん中にデーがありそのデーに
トゥンガが供えられている。
私は急いでそのトゥンガをデーもろとも
掴み上げ走りだしたのである、
その時そこの叔母さんがトーグラの中で
「ウヌデーヤ ムチイクンノー デーヤ ウマナン ウチキョー」
と「イッヒー、イッヒー」と笑うのである。
私は本通りまで出て行き見てみると
本当にデーもそのまま抱いて来ている。
「成るど!」これはトゥンガだぇ取るものだと、
それからまたひと走り走って行き臼の中にデーを入れた。
その時おばさんは又「イッヒー、イッヒー」笑っておられました。
許されたヌスドゥ昔から今も変わることはない。
(「七才の思い出、たった一つの許されたヌスドウ」
『無学日記』池田福重)
十五夜はワクワクした。
月の明かりを頼りに歩きながら、
家々に供えられている団子を盗んでよかったのだ。
トゥンガ・モーキャー(モッチャー)。
この日ばかりは、子どもたちだけで夜道を堂々を歩いたものだ。
なかには校区をまたいで遠出したつわものもいたはず。
迎えるほうも迎えるほうで、トゥンガ(団子)の代わりに、
泥の団子を用意してワラビンチャーをからかうこともあった。
でも、楽しかった。
あのワクワク感は、池田さんにもあったもので、
というか、それだけ昔から連綿としていて、
そうした楽しみの連鎖のなかに自分もいたのだと思うと嬉しい。
いまの社会事情を思うと、
子ども達だけで夜道を団子泥棒に出かけるなんて、
なんて牧歌的で優しい共同体なんだろうと思えてくる。
トゥンガ・モーキャーよ、永遠に。
トゥンガ・モーキャー・フォーエヴァー。
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コメント
日付け変更線がよくは
解りませんでした。
井戸 と経度
でしょうか。
毛 ネムタイデス。
オヤスミ。
投稿: awamorikubo | 2007/09/26 21:40
クオリアさん
ワラビヌバーヤ オオムタノ シンコウマチ
エータシガ ユンヌトゥ マンネーシュタクトゥ
仲秋の名月の夜は
ムッチャーチカシ タバリー
箸をもって 餅をつかせて下さいと家々を訪ねて
歩いたものです
ウップーサ マンジュウ コウティ
ヤカターや 屋根の上の饅頭まで取って食べて
いましたね
楽しみでもあり ミジラシャタンド
投稿: サッちゃん | 2007/09/26 23:34
新港町
ですかね。
入船町だったような・・・。
みなさん 元気しているでしょうか?
めがね は
やっぱり
しんこうまちで 生まれた
かずえ姉さんの御蔭でしょうか。
タラやかが見守って下さっていると思います。
応援 よろしく。
投稿: awamorikubo | 2007/09/27 05:01
サッちゃんさん。
コメントありがとうございます。
読んでいて、胸があたたかくなってきました。
「ムッチャーチカシ タバリー」。
可愛らしい声が聞えてくるようです。
トゥンガ・モーキャーに行きたくなってきました。
投稿: 喜山 | 2007/09/27 08:33