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2007/08/11

宇和寺回想

この写真は、約20年前の宇和寺。

Uwaderamui_2


























30年前くらいまでは、この坂はもっと急で道も狭かった。

写真を撮っている位置が、珊瑚の石垣の入口。

この道で、父がよくキャッチボールをしてくれた。

夜になるとあたりは真っ暗になって、
奥の家屋から漏れてくる光を見るまでは、本当に怖かった。
頭の中は、日ごろ聞いていたムヌ(物の怪)の話でいっぱいで、
光を認めると慌てて走り出して、玄関になだれ込んだものだ。


舗装された道を折れて奥に入った途端、
時間が止まるようだった。

訪ねて来た客人が、
ここへ来ると、昔の与論に来たみたいだと言っていた。
当時、意味は分からなかったけれど、今はよく分かる。

ぼくはこの宇和寺が大好きだった。

この、うっそうとした宇和寺の森を復活させること。
いま、それはひそやかな夢だ。



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コメント

おはよう。
懐かしい。
この道知っている。
与論に帰った当時はこの道だった。舗装かどうかは覚えていないが
すすきの右に曲がると従弟の家がある、海にもいけた。
左のガジュマルの奥はカヤの生い茂る畑だった。
その畑のカヤをもらって特産の与論カボチャの敷きわらにした。
そのカボチャが学資にかわった。
 
 今は家が建ち昔の面影はないが、石垣の一部は残っている。
この石垣と奥の海岸に至る植物は残しておきたい。
酢工場の周りは島の植物で囲って、
与論らしさを出せたらいいと思う。
人の土地でこんな事考えるご無礼を許してください。
開発と保護は相反することではなく、共生してなされたほうがいい。

投稿: awamorikubo | 2007/08/11 10:10

 クオリアさん

 この道は いつか通りました
年寄りの独り言ですから、お聞き捨て下さい

 赤佐の浜からすると、宇和寺辺りは高まり
ですよね
ということは、上の地、ウワーチ(上地)と
云ってもいいかと思われます

 アガリ(東)方は、ノーダキドウ(道)が
延びています
ウワーチとノーダキドウの向こうは、かなり
の谷になっています

 ウワーチからシナハ方面の字図にはターニ
となっています

 ウワーチノハマ=ウハマ=宇浜
ウハマにある墓が、ウハマの寺が訛って宇和
寺・・・と云うのは
「風吹けば 桶屋が儲かる」の類でしょうか
もしれませんね

 昨日、今日の一面は、自給率40%に満た
ない日本の食糧事情のことでした

 与論は、日本の縮図ではないかと・・・
そう思いながら、というのが私のこだわりな
ので、つい一言多すぎてしまいます

 思いは、それぞれのはずです
「策は、わが手中にあり」
奢ることなく、騒ぐことなく、動くことなく
ユンヌの島の如し
というのも、一つの考え方ではないかと…

投稿: サッちゃん | 2007/08/12 01:34

awamorikuboさん。


アチャの五十日から戻りました。

ナルカンの話、ありがとうございます。
心あたたまります。

一人ひとりが与論のビジョンを持つことが大事だと思います。
ぼくも、あそこからフバマにいたる植物、ジャングルを大切にしたいです。

とおとぅがなし。どおか。

投稿: 喜山 | 2007/08/13 20:57

サッちゃんさんもこの道をご存知とのこと、嬉しいです。

宇和寺の地名説もとおとぅがなし。
「ウワーチノハマ=ウハマ=宇浜」は、
ぼくの貧弱な語彙では無理なアプローチで、なるほどなぁと思いました。

ブログに何かを書くと、ここにコメントしてくださる他にも、
お叱りをくださったり賛意をくださったりする方たちがいます。
どれもありがたく思っています。

与論に長く住んだわけではないので、
島の人(ユンヌンチュ)がどう感じるかを知りたいのです。

その意味では、自分の関心を書きながら、
与論島とのいちばんいい距離感を試行錯誤している気がします。

サッちゃんさんのコメント、
深くふかく受け取りたいと思っています。

投稿: 喜山 | 2007/08/13 21:04

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