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2007/08/21

縦断するシヌグ祭

『海と島の思想』で、勝連半島の先の島々の記述をたどると、
与論島との親近性を感じる。


それは、琉球弧の開発祖神とされる
アマミキヨ、シネリキヨの伝承がはっきりあること。
そして、シヌグ祭があること、だ。

ただ、浜比嘉島には、伝承があるというだけではなく、
アマミチュー(アマミキヨ)、シルミチュー(シネリキヨ)
が住んだと伝えられる洞窟があり、
島の東方のアマンジと呼ばれる岩礁にある墓は、
アマミチューの墓であると言われている。

アマミク、シネリクの伝承は、名称の微差異を段落として持ちながら、
琉球弧全体に広がっているが、住居、墓と具体的な場所を持つのは、
この島の特徴ではないだろうか。

そして、宮城島には、シヌグ堂という場所があり、シヌグ祭も行われる。

アマミク、シネリクの伝承がはっきりあることと、
シヌグ祭があることにどんな関係があるだろう。

『与論島-琉球の原風景が残る島』を参照して、
シヌグ祭のある地域をプロットしてみる。

Shinugumap2_2






















・シヌグのみ行われる
・ウンジャミのみ行われる
・シヌグとウンジャミの両方

この3つに分けみた。

国頭村、知念村などは、
もっと細やかに集落単位でのプロットができるが、
ここではまだそこまでできていない。

ただ、単純化してみただけでも、
シヌグは沖縄島の東海岸を中心に分布し、
ウンジャミが西海岸を中心に分布しているように見える。
そして、シヌグもウンジャミも両方、行う場所が、
北部沖縄に集中しているように見える。

この荒っぽいゾーニングで判断するわけにいかないけれど、
イメージとしてだけいえば、

・北部に行われていた2つの祭儀のうち、
 東海岸にシヌグが流れ、西海岸にウンジャミが流れた。

・もともと東海岸中心にシヌグが行われ、
 西海岸中心にウンジャミが行われてた。
 その両方が交わる北部の島端を核に、
 二つとも行われる地域が発生した。

こんなイメージはすぐに湧いてくる。
これらは解いていきたいテーマだ。

 ○ ○ ○

もうひとつ、勝連から伸びる島々、それらはもう架橋されて、
離島ではなくなっているのだが、
そこここの記述を辿って整理しておきたいのは地名の意味だ。

 浜比嘉島 ハマピジャ
 平安座島 ヘンザ
 宮城島  タカハナリ
 伊計島  イチハナリ

従来ある由来を集約しながらの再整理だけれど、
いまの時点ではこう理解したい。

 浜比嘉島 ハマピジャ 東の浜
 平安座島 ヘンザ   干瀬のあるところ
 宮城島  タカハナリ 高い離れ島
 伊計島  イチハナリ 一番、離れた島

この場合、浜比嘉は、「浜の東」で、倒音逆語と解する。

『海と島の思想』 (野本三吉)
Ⅲ 古代信仰と女性原理
19 タケオバアの島・伊計
23 アマミキヨの源流・浜比嘉島
27 海との共生・宮城島


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コメント

この金武湾沿岸は、不思議なところで、
考古学的にも弥生時代並行期から
奄美諸島の在地土器がよく出土する地域です。
奄美大島のノロ祭祀では、
「神は唐からはじまりて、平安座親ノロ・・・・」という神口が
しばしば唱えられています。
なぜ平安座なのか解りませんが。
アマミキヨ・シネリキヨは、喜界島・奄美大島・徳之島には
伝承がほとんどありません。
奄美市笠利町節田集落にアマミコ・シニレクが降臨したいう神山があるぐらいでしょうか。
でも、今、何かが解けてきそうな・・・・そんな予感が・・・・。

投稿: NASHI | 2007/08/21 22:04

おはようございます。
この前から伊計島が気になっていたところ
このシヌグとウンジャミの地図で理解が大分深まりました。
海路の道の島と与論のつながりが祭りとして伝承されてきていることが
よく説明がつきます。
浜比嘉島には2度行きました。
先祖供養にと「琉球神開」の方々に自然神を拝む「うたき」に連れて行ってもらいました。
とても神秘なところでした。
伊計島に心惹かれています。
もうすぐシニグの祭りがあります。
神道つくりから参加してきます。

投稿: awamorikubo | 2007/08/22 00:28

 クオリアさん

 興味津々でした
別な、関係のない表現かもしれません

 三弦、三線(サンシヌ)、(内地)三味線、
(津軽)三味線…

 手拍子だけでも、そばにある石でも木切れでも
叩いて唄えば,唄えるのに…「もの」が豪華に
なればなるほどミンギヌのウデもあがります

 ウレーヤ サンシヌンチャー ピキナユンムイ
ユンヌンチュヤ どのくらい どの程度弾けるの
でしょうか?

 今は 与論の人の家には「三線(サンシヌ)」
が鎮座ましましています
古謡はひけなくても、与論小唄(「ラッパ節」)
くらいは弾けるでしょう

 ピアノがあるから、バイオリンがあるからとい
って、ベートーベンやリストが弾けるわけでもな
いのと、マージンデークトゥヤ

 図の通りに、音楽はあるようです
谷茶前もシヌマンダイも天草節も安来節も磯節も
最上川舟歌もソーラン節も串本節も阿波踊りも・
おてもやんも六調も・・・
 ムール サンシヌシ ピカリュウシガヨ
ヌーシン ピカリュウーシガヨ

 ニャー ダリタシガ もう一言
与論小唄(ラッパ節)は、ユンヌで生まれ歌われ
たということは、信じて下さい

 今、それを論証したいと思って日々を過ごして
います

 「十九の春」の元唄が、「与論小唄(ラッパ節)」
であるという真実(信念)はいささかもゆるがせに
はできないと思っています

 『十九の春』と同じように、替え歌なり真似唄が
いっぱいあって、多くの人に唄っていただけること
は喜ばしいことであり、誇りです

 島唄の一つも唄えない、三線が「サンシヌ」だと
もしらない人に、「ユンヌウタヌフトゥンチャー
ユディムレータクネーダナヨ」

 ドゥッチュイユミデーシガ タンディ ドウカ
ヌッチィユダンチン ドゥドゥハミンデークトゥ

 昔いたという「ドゥーダミン」さんのことが、
思い起こされました  

投稿: sattyann | 2007/08/22 00:29

NASHIさん。

アマミキヨ・シネリキヨの伝承の分布、その濃度、
祭儀の有無は、それだけで何かを物語ってくれそうな、
わくわくするテーマです。

奄美大島は、その名に「アマミ」を冠しながら、
伝承のみということ、
沖縄島東南部を起源の地と名指していることなど、
解き甲斐がありますね。

奄美の土器が出土すること。そうなんですか。
すごく面白い事実です。

投稿: 喜山 | 2007/08/22 18:16

awamorikuboさん。

もうすぐシニグなんですね。
ぼくも一度は、参加したい祭りです。
身体で味わってみたい。

投稿: 喜山 | 2007/08/22 18:19

sattyannさん。

万事、黒潮の流れのように流れるままにして、
抗おうとしない島の性質のなかにあって、
ひとつのことを言いつづけることは
それだけで何がしかだと思っています。

「与論小唄」、「十九の春」を、
島の誇りのように思えてきました。

投稿: 喜山 | 2007/08/22 18:22

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