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2007/08/26

いつか風になる日

元ちとせの「いつか風になる日」は、
風葬のことを歌っているという記事がいくつかあって、
ぼくは遅ればせながら、この曲を聞いた。

『ノマド・ソウル』(元ちとせ)

Nomadsoul_2













 ♪ 何故に陽炎はゆらめいて
   黄泉へと誘う澪標か

   遥か紺碧の空と海
   すべてをのみ込むあの蒼さよ

   還らぬ日の想いを胸に抱く季節
   儚き泡沫のような運命のものたちも

   果てしない輪廻を彷徨えるのなら
   いつもずっとずっと傍にいてあげる

   赤い花弁が落ちる瞬間
   数多の生命が誕生れ逝くの

   幾千の歳月を波が弄ぶ
   麗らかな陽の中で私も風になる

   大空を花が埋め尽くすように
   海をもっともっと抱きしめてあげる

   やがてきっときっと永遠は刹那に去って
   だけどずっとずっと此処にいてあげる
   ただ風が吹いている


言われるように、海に面した風葬の洞窟のことが浮かんでくる。
詩もメロディも冒頭の三線も、歌声も、いい作品だ。
島の突端で歌う元の顔つきも海の風景もたまらなく懐かしい。


けれど、メロディの甘さ優しさよりもっと深いところに
この曲の生命源はある気がする。


4年前に施設ができて、与論も火葬をするようになった。
ぱーぱー(祖母)も長生きをして、
本人が望まなかった時代の洗礼を受けることになった。

それまで土葬だったわけだけれど、
けれど、それ以前に、風葬も樹上葬も行っていた。
ほんの二百年前までそうだったのだ。

火葬になったとしても、
自分の身体性のなかに、
風葬、樹上葬の感覚が眠っていることを
ぼくは大事にしたいと思う。

風葬、樹上葬は、人間が自然と等価である段階での
他界観念が生み出したものだ。

人間と自然物はとても近かった。
それらと会話することは当たり前のことだった。

風葬により、故人は自然物に返る。
風葬の字義を受け取れば、風になるかのようだ。

「千の風になって」と、今年の流行歌も歌う。
21世紀は、身体消滅後に「風になる」というイメージを
育んでいるのかもしれない。

ぼくはそれは、風葬、樹上葬の時代の自然との関係が、
現在に蘇ってきている現われだと思う。


いま、島はお盆。
父と、父方母方の祖父母を想う夕暮れだ。

今年は、祖父の改葬も控えている。



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コメント

おっしゃるとおりです。与論島の風葬、土葬⇒改葬さらにそれ以前の
樹上葬特に改葬の真髄が、先祖崇拝・先達者崇拝のこころを現在も
なお引き継がれている。のではないでしょうか!?
自然の中に自然を受け入れて、人としてこの島に住まえる喜び。
旧盆に際し、あらためてわが子はこの島の血を、風を、こころを半分は
継いでいることに、旅からきた嫁として母として感動してます。
必然として受け継がれてきたヨロンのありかた。
もちろん全部が全部完璧とはいえませんが、病んでる日本はこの周囲
約23キロの島をしかと見つめる(ほんとは見習うといいたいけど
おこがましくて)べきなのでは・・・

投稿: achanthanks | 2007/08/27 09:52

achanthanksさん。

そんな風に言っていただけるのはとても嬉しいです。

与論にいると、亡くなった人たちに
見守られている気がしてくるのを思い出しました。

投稿: 喜山 | 2007/08/27 13:09

 
 2年前、改葬をしました
与論の島の成りたち、歴史、
優しさ、愛おしく感じます

 土葬でねむっているヤカ
の改葬の日を待っています

投稿: サッちゃん | 2007/08/28 17:05

サッちゃんさん。

そういう立場になってみて分かりました。
改葬を待つ、というのは、
とても優しい気持ちになりますね。

ものすごく大事な風習だなと思います。

投稿: 喜山 | 2007/08/28 21:49

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» 1000の風、生と死。 [死について考える言葉]
千の風になってについてはその原詩を巡って諸説飛び交っているが、その辺りの事情はともかく、「死」と向き合う契機を世に提供してくれたことは意義深いと思う。米国を中心に広まった"death education"なるもの。...... [続きを読む]

受信: 2007/09/08 19:23

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