欲が少なくなった-与論島感想
「奄美の島々の楽しみ方」の山川さんが、
ぼくの『めがね』オタクぶりを見かねてか、
『ナチュラルスタイル』という雑誌に、
市川実日子さんのインタビューが載っているのを教えてくれました。
市川実日子さん。
ぼくもさすがに『めがね』に出ている役者さんと覚えました。
9月に映画「めがね」が、
「かもめ食堂」と同じ制作スタッフで公開されますが、
今回は与論島で長期間ロケをされたそうですね。
与論島に行かれたのは初めてですか。
はい。初めてです。「いいところ」だとは聞いていたのですが、
鹿児島から離れた島というイメージくらいしか思っていませんでした。
映画を観ていただければわかると思いますが、
海も空も本当にきれいなんですよ。
与論に着くまでは頭痛がとまらなかったのですが、
島に着いた翌日にはすっかり治っていました。
でも、島の陽気のせいなのか、
ほんとに思考回路が止まったしまうというか、
何か考えようとしても考えられない不思議なところでした。
どういうところが普段と一番違うと感じましたか。
東京に帰ってきて、
また頭が痛みだしたんですよ。
たぶん島時間と東京時間の変化を体が調節しようとしていたのが、
調子を取り戻すまでにしばらく時間が必要でしたね。
東京に戻って気づいたのは、
東京にいて普段の暮らしのなかで当たり前と思っていたことが
与論島では違っていたことです。
与論島に滞在したことで、
いろんな自分の中の欲が少なくなったんですよね。
それっとすごいことだなと思いました。
ロケ中にはふざけて「買い物に行きたーい」と
いうようなことを言ってみたりしたんですが、
東京に帰っても全然行っていないですよ。
(『ナチュラルスタイル』9月号)
相変わらず、いいことを言ってくれますね。
頭痛が治る、思考回路が止まる。
どちらも与論島真実です。(^^;)
○ ○ ○
「欲が少なくなった」というのに、
その通りと頷きながら過ぎることがあります。
それは、格差社会のくぐり方をめぐってです。
「格差社会」には、冗談じゃないという面と、
知ったこっちゃないという面があると思います。
冗談じゃないという側面は、
ここ数年、資本主義の興隆期のように、
富の偏在化が進み、
景気回復などと言われてもまるで実感の湧かない事態のことです。
これは特に選挙期間中は、
都市と地方の格差がクローズアップされましたが、
都市の内部でも大企業と中小企業の格差として露出しているものです。
この、重たい課題はある。
でも一方あるのが、知ったこっちゃないという側面です。
それが、市川さんのいう「欲が少なくなった」ということに関わります。
思い返せば、「格差」は、奄美、琉球弧にとって、おなじみの言葉です。
奄振が、そもそも「格差是正」を謳い文句にしていました。
ぼくも少年期には、
鹿児島県の県民所得が最下位を争う地域ということを
数値としてみていました。
そして鹿児島のそれを下げているのは奄美だろうから、
自分(たち)はよっぽど貧しいということなんだろうな、と。
でも、だろうな、と思っても、
どうしても実感は湧かなかった気がします。
与論での生活を思うとき、
貧しいという言い方がそぐわない気がしました。
むろん、ぼくは、水道、電気が通ったあとの世代であり、
テレビも電話も最初からあった世代なので、
「知らない」ということもであるでしょう。
でも、あの空や海や静寂や人と人の間柄や、
植物たちの中にいだかれた時間の流れは、
その後、どこで味わいたくても味わえない贅沢な時の流れでした。
なんというか、経済指標の及ばないところで、
桁違いの豊かさを享受していた気がします。
だから、ありていな言い方になってしまうけど、
経済価値に変換されるものを尺度にするなら、
貧しいかもしれないけれど、
それに還元されないものが豊かにあったと思っています。
その価値尺度の違いを踏まえるなら、
格差社会など、知ったこっちゃないという面を持ちます。
これはいまでも大事な点だと思います。
その、経済価値に還元されてこなかったものを
味わっているということ、
経済価値にもし還元したら、とても大きな価値を持つことを、
市川さんの「欲が少なくなった」という言葉は示唆しないでしょうか。
この言葉は、
都市が人の欲望を喚起することで、
消費と生産を生んでいるという人工性を示すと同時に、
別の価値を享受していることを意味しているとも思えます。
現に彼女は、頭痛が止まったというのですから。
耳を澄ませば、市川さんの言葉のなかにも、
与論島の向かう道のヒントがあるような気がします。
追伸
教えてもらわなかったら、『ナチュラルスタイル』に
気づきもしなかったでしょう。ありがとうございます、山川さん。
追伸2
いまTVで、小林聡美が『めがね』のCMやってました。
びっくりして何を言ってたか、分からなかった。
観ましたか?
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コメント
クオリアさん
「めがね」のこと・・・
多分、感想文は似ているのかと思っています
水も電気も、何れも自然の恩恵のはずです
ガシガヨ
いつまでもあると思うな親と「銭」ですかね?
水道はなく、電気もない時代は ほんの
数十年前のことでした
船が来なくても、水を分け合って生きてたのが
インクサル シマエーシガ ナビヌ スクナカニ グクヌタマル
ユンヌ島だったのですよね
格差社会?
ユンヌの島にある差は イッチャンーンカ です
小金持ちはいても、豪邸があるわけでもないしー
偉い人でも、パナウル王国の貴族ぐらいだし…
小さな差を いかにも大きく見せようとする
井の中で お腹を膨らましてパンクするガアー
クの蛙のアンマーでは 話しが哀しいです
自然は 望まれなくても そのまんま居座って
いて 迷惑でもないし いいですよね
いずれ すべてが 元に戻るでしょうが
風車を廻すとか 逆浸透膜で海水が真水になると
か、夢みる「ユメ子」さん(その昔、そんな漫画
がありました)になって、いまを大切にと思って
います
「めがね」に感謝?
また、辛口で ごめんなさい
ドウカ タンディ ドウカ デービル
投稿: サッちゃん | 2007/08/19 23:52
ガシがしの島。
ガシ語 表(2)
2があるなら1もある。
1 がしゅくとぅ がしむうてぃ がししちゃしが がししゆうしが
むちかしゃぬ
がしゅくとぅちち がししらんぼう
いっちゃんならだな がししちみちゃんがよー
1 だから そう思って、そうしたんだけど、そうやってするのが
難しくって・・・
だからといって、そうしないと、どうにもならないので、
そうやってみたんですけどね。
がしがし
何らかの秘密を知っているか、暗号の解読が出来なければ、
普通では理解できそうもない。
「がしかし」、その「キー」が、分っていれば、
普通の会話である。
バンブー竹 のメモリーより。
投稿: awamorikubo | 2007/08/20 06:04
クオリアさん、はじめまして。
与論島の豊かさ、ほんとそのとおりです。
この島は、“こころ”を育ててくれます。もちろん子供だけでなく、
大人の“こころ”も。でも、そのことをしまんちゅが一番気づいて
ないのが、なんとも残念・・・っていうか、あたりまえのこととして
右から左へ受け流してきただけなのでしょうか?
投稿: achanthanks | 2007/08/20 09:41
サッちゃんさん。
そっとしておくのも、
与論島への態度のひとつなのかもしれないですね。
コメント拝見して、そんな気もしました。
投稿: 喜山 | 2007/08/20 18:19
awamorikuboさん。
楽しいですねえ。まとまった形にしませんか?
盛窪やか。言葉だと思います。
ゆんぬふとぅばを掘り下げるのは、
すごく力を持つと思いますし、
与論にとってとても大切なことに思えます。
投稿: 喜山 | 2007/08/20 18:21
achanthanksさん。コメントありがとうございます。
「心を育てる」。
そう言っていただいてありがとうございます。
おっしゃることにつながらないかもしれませんが、
都市生活を続けていて、
人工的環境のなかでももっているのは、
かつて超自然ともいうべき、
天然自然をふんだんに味わったからだなぁと
思えるときがあります。
島の人はそれこそ当り前のように享受してきているので、
その価値に気づきにくいと思います。
心を育てる、ということ。
言い続けてくださると、とても嬉しいなぁと思います。
投稿: 喜山 | 2007/08/20 18:26