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2007/08/27

与論島と石垣島の接点、ナーマ

石垣島と西表島は、地名で通過してみたい。

石垣島については、『地名を歩く』を読んで、
与論島の那間と増木名と同音の地名があるのに気づいた。

 ※「那間は泉」

Photo

























(「石垣島の川の方言名」『地名を歩く』)


まず、地図の下方にある円のgは、
フナーと呼ばれる川だが、
その周辺に、長間(ナーマ)と呼ばれる場所がある。

『地名を歩く』によれば、「石垣島地方の『ナー』は、
地下水が自然に地表に湧き出る泉を指して」いる。

与論の那間も、泉を持っており、
ここにいう「長間(ナーマ)」と同一の地名と思われる。

また、上の方の円のcは、マニシキナカーラと呼ばれている。
マニシキナーは別名マシクナー。
これは、那間にある「増木名(マシキナ)」と同一だ。

石垣島のマシクナーは、轟川の上流の支流だという。
「増木名(マシキナ)」も、増木名池と呼ばれていたから、
泉の元のような意味なのかもしれない。

石垣島と与論島の意外?な接点が嬉しい。

 ○ ○ ○

西表島は、以前、スネ島と呼ばれた時期があるという。

 西表島について最初に記録されたものは『李朝実録』の
 「済州島民漂流記録」と呼ばれるもので、
 そこには「所及(スネ)島」と書かれている。
 「一四七七年のこと、済州島の民が漂流しているところを救助され、
 与那国から所及島(西表島)へと送られてきました。
 彼らは所及に半年間滞在したあと、島づたいに沖縄、
 さらに九州まで行き、そこから本国である朝鮮へと無事、
 帰国しました。・・・
 所及は現在“祖納”と字を当て、
 一般的には“ソナイ”と呼ばれていますが、
 島の人々はそれを“スネ”と呼ぶことから“スネ”の名称は
 五百年以上も変わっていないことがわかります」
 (『ヤマナカーラ・スナイビトゥ』西表島エコツーリズム協会、
  一九九四年、六四頁)

これとは別に、西表島は、古見島と呼ばれていたこともある。

 (前略)古見がかつて一たびは南島文化の位置中心であって、
 しかも近世に入ってから他に類例もないほどの激しい盛衰を
 経ているということだけは、弘く世上に向かって是非とも説きたてて
 置かねばならぬ。是には幸いにしてまだ有形無形の史料が、
 必ずしも没しきってはいない。

 ただ統一時代における我々の関心が、法外に乏しかったのである。
 最初にまず西表という現在の島の 名だが、
 もとは普通に古見の西表、すなわち古見という島の西の船着きを
 意味しており、そこの開発もかなり古く、
 多分はいわゆる倭寇時代の船の往来によって、
 発見の端緒を得たものと思うが、
 一方には土着者の家にもほぼ同じ頃からの言い伝えがあって、
 後に筆録せられて世に行われている。

 是には主として水土の功、ことに与那国という近隣の一孤島の
 収容と連絡とが窺れるが、対岸大陸との交通にはまったく触れて
 いないのは、或いは隠れたる動機があったのかもしれない。
 とにかく明治の新時代に入ってから、ここが汽船の航運に
 利用せられたのは必然であったうえに、
 さらに南島としては珍らしい石炭層が、ほんの僅かだが
 ここの渓谷に発見せられたために、
 ここが重要なる寄航地となってしまい、
 それに引き続いては労働力の供給問題、
 島の人たちはちっとも来て働こうとしないので、
 囚徒を入れまた浮浪者や貧窮人を連れ込んで、
 ひどい虐待をしたことが評判になり、
 いわゆる西表炭鉱の惨状が新聞に書きたてられて、
 若年の私などは、是で始めてこの名の島の存在を、
 知ったような次第である。

 古見という一郷の驚くべき盛衰史を、
 人が片端でも知っていたならば、
 こんなまちがった改称を公認するはずがなかったのである。
 (「根の国の話」柳田國男 1955年)

柳田は、古見から西表への改称に憤っているが、
ぼくたちは、古見の前型として、祖納を置き、

西表島の地名の呼称について、

 スネ(祖納、所及) → クミ(古見) → イリムティ(西表)

という変遷を想定できるかもしれない。

あるいは、

西部は、スネ(祖納、所及)、
東部は、クミ(古見)

と呼ばれ、
 
統一されたとき、西部のイリムティ(西表)を採用した、と。

スネは、祖納(ソナイ)からの転訛を想定できると思う。

 sonai →soni(母音aの脱落)→suni(三母音化)→sune(同一行の転訛)

最初の、母音aの脱落がありうるのか、
明確に言えないが、ありうる気がする。

意味の変遷は、

 スネ(祖納、所及) 水のあるところ 
 クミ(古見)     米の地
 イリムティ(西表) 西の船着場

となるだろうか。


八重山の大島の地名メモとして。


『海と島の思想』 (野本三吉)
Ⅴ 原初的世界との共生
40 南風の吹く島・石垣
44 原生林の島・西表



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コメント

クオリアさん

 アッセー ウレーパナシヤ ミジラシャイ
アーイ ウトゥルシャムンデール

 ムリクブナガ ウトゥルシャシガ
ウレーカラヤ ウップーサ ナレーバドゥ
ナイギサイ

 ニャマ ユンヌフトゥバシカ
ムンチィカララヌクトゥ ヌッチユミバ
ナイシゲーラ? ムチカシャイドウ

 ガシガヨ
ソナイ イフタカティ ワカラヘンピチュヌ
ウップーサ ウイクトゥ
ヤッケーナ ムンデークトゥ

 ガシガ ガシナユイダ

興味津々です

投稿: sattyan | 2007/08/27 22:57

那間と増木名の類似、おもしろいですね。
奄美諸島と先島諸島は、しばしば類似していると言われます。
その謎が、喜界島から解けてくるかもしれません。

投稿: NASHI | 2007/08/27 23:28

sattyanさん。

ミジラシャイと言っていただけると、イショーシャイです。

ただ、ぼくの与論言葉の語彙が中途半端なので、
気のつく範囲が限られていて歯がゆいです。
与論言葉、教えてください。

投稿: 喜山 | 2007/08/28 21:38

NASHIさん。

喜界島は、結節をなす島なんですね。
ぼくは、喜つながりの親近感もあります。(^^;)

NASHIさんの解明、楽しみです。

投稿: 喜山 | 2007/08/28 21:40

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