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2007/08/15

離れ島の命運

琉球弧の島々を地図で眺めていると、
沖縄島のような本島に寄り添っている離島や、
慶良間のように小さな島が寄り添っている離島もある。

でも、それら本島から離れ、
近くに寄り添うべき島々も少ない。
そんな離島をみると、いわゆる島のさびしさもひとしお
なんじゃないかと心が吸い寄せられていく。

粟国島と渡名喜島も、そう感じさせる島たちだ。

野本さんの紀行に頼ってみていくと、
粟国島は、中江裕司監督の『ナヴィの恋』の舞台になったところだ。

そのせいかどうか、野本さんの紀行文も明るい。

伊佐達雄さんとの出会いもあり、伊佐さんはこう語る。

 民俗調査が好きで好きでたまらないという感じであった。
 「この村の屋号を全部調べてみましたよ。
 それと、地名一覧もまとめてみました」
 手製の和綴じの冊子には、
 ビッシリと手書きの文章が並んでいる。
 「もっと前からやっとったらノーベル賞じゃのうと笑うんさ」。
 一ページ一ページ繰りながら、達雄さんは本当に楽しそうだった。
 「この小さな島に、八四もの地名があるというのは不思議じゃないですか。
 それに、調べただけでも、五つの殿内(どんち)があり、
 拝所は九ヶ所もあるわけさ。
 これも、この島にしては多すぎると思うけど、
 なぜかなと考えておるところです。

こんな語りを読むのは嬉しい。
こんな方がいる限り、島は大丈夫だと思えてくる。
与論の菊さんや与那国の池間さんのことが思い出される。

一方、渡名喜島には、水中運動会が行われているのだという。
水中運動会。つまり、運動会をやるのだ。
玉入れも綱引きも。競争は水泳。
これ、楽しそう。

粟国島の人口は2001年現在、889人。
30年間で、ご多聞に漏れず、人口半減。
渡名喜島は2004年現在、人口472人。
ただ、この40年で人口は3分の1に減っている。

どちらも人口減少を免れていないが、
粟国島は、那覇から空路で20分で行ける。
渡名喜島は、航路で90分という。
この差は、大きいだろうと想像できるところだ。

この傾向を回帰線を引けば、零に向かっているようにみえる。
でも、それは数字上の話で、島に残りたいと思う人は絶えない。

離島は、大橋によって架橋されることで、
離島を終える島も出てきた。

大橋によって架橋されることのない離島は、
どうなっていくのか。

経済の架橋がなされなければならないことは言うまでもないが、
ぼくは、粟国島の伊佐さんのような営みが尊いと思う。
それによって、島の心が理解できるからだ。


『海と島の思想』 (野本三吉)
Ⅲ 古代信仰と女性原理
20 ナヴィの恋・あぐに
24 温もりの海郷・渡名喜


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コメント

前略

 扉を叩くのは わたし
 あなたの胸に 届くでしょう
 紙切れのように 

 「死んだ女の子」という
歌もあります

“わたしの姿は 見えないの”

 元さんの島唄には、心があります
中さんも、声真似ではなく
「心」を大切にしてうたってもらい
たいと思います

投稿: hirosi | 2007/08/15 22:42

 クオリアさん

 114歳の世界一の日本のおばーちゃんが
亡くなられました

 実は、自分は115歳だから
世界の最高齢者であると名乗出た人があるの
も、後付けにも思えます

 『十九の春』は、沖縄の俗謡だそうです
「与論小唄」(与論「ラッパ節」)のただの
真似歌です。

 30年前に、全国でヒットして歌われた
田畑義夫の「十九の春」の元唄は、奄美の
加計呂島の花富集落で唄われていたと云う
人が現れてきたのには、吃驚やら、腹立た
しいやら、・・・

 今になって、1943年(昭和18年)
の60年前に、父が作った曲だというのが
出鱈目でないとすれば・・・

 あなたの尊敬する島尾さんも、島尾さん
ご家族もうたっていたかもしれません

 何の音楽的な根拠もなく、歴史的な根拠もなく
ユンヌ島唄のオリジナリティーを否定する
ことは、私には赦せません

 「与論小唄」の替え歌であれ、真似歌で
あれ、「十九の春」と曲名はかえられても
ユンヌの「ラッパ節」が、多くの人にうた
われることは、シマンチュ(島人)の誇り
であり、歓びとするするところです

 ガシガヨ、ガシガヨデール

 NHKの編集上のヤラセ番組は、赦すこ
とはできません。ワナヤヨ デークトゥ

 川井龍介のユンヌフトゥバ(与論言葉)
も知らない、ユンヌの唄・三線(サンシヌ)
のことも知らない…
そんな人の書いた雑文を、作文を真に受け
ることはしてはいけないと思っています

 私が、NHKに抗議したことに対しての
後付けの本だからこそ、あれだけの人や島
を訊ねることができたのです

 音楽、島の民謡をほとんど知らない人が
自分も生まれていなかった60年前のこと
を訊ね歩いて、何がわかるのでしょうか

 川井龍介の本が出ること自体、NHKの
経費の無駄遣いの証拠です

 8月15日、終戦記念日です。ちょっと
だけ怖い話しですね

 勝者にのみ、歴史を語らせる訳にはでき
ません

 「与論小唄」の唄い手で、優秀賞は…
ウレー フ(ウ)ジャヤンカ パジデーシガ

 話しが、逸れすぎましたね
ユンヌの一番の御年寄りは、どなたなのでしょうか

 ウガヌメーヌ マサオヌ アチャヤ
90ヤ スギテュルパジエーシガ

 100歳の方は、いるのでしょうか?

 

投稿: サッっちゃん | 2007/08/16 00:12

おはようございます。

久しぶりの辛口こめんとに、感動しています。

ガシがしの言葉遊び、
     懐かしいですね。

       手元にある、がしがし文体をいつか公表したいなどと思っていましたが、
  サッチャンの顔が拝めたらと思っておりました。

   昔 水泳選手の木村さんが来島した時、
       江が島の灯台元で十九の春を弾いて下さった
          親子ラジオのおじさんを思い出します。
     そうでしたね。

        こめんと に 感動して  一筆。
          これからも よろしく。

投稿: awamorikubo | 2007/08/16 03:59

サッちゃんさん。

たしかに、『「十九の春」を探して』は、
誰に向かって何のために書いているのか、よく分からない内容でした。
ネットでみると、NHKの番組と取材とが並行していたみたいですね。

ウレーは、どんな番組か、ぼくは分かりませんが、
NHKに抗議されたこともあったのですね。
経緯や考えをもっと知りたく思います。

投稿: 喜山 | 2007/08/16 08:35

awamorikuboさん。

ガシガシ文体、ぜひ発表してください。
読みたいです。

投稿: 喜山 | 2007/08/16 08:37

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