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2007/08/16

帰ってきた与論地図

Yoronmap
















あった、あった。
汗だくで格闘した末に、いちばん奥のダンボール箱で見つけた。
無くなっていたらどうしようと思っていたのでほっとした。

これは、三十数年前、小学五年生の時に作った与論の立体地図。
屋根裏の倉庫に入っていると聞いてはいたものの、
そこは、いわゆる物置だから、
いつも屋根裏の戸を開けるたび気が遠くなり、
探すことすら断念してきた。

父の忌明けの機会にと、思い切って洞窟探検のように、
漁ってやっと見つけた。ほとんど二十年ぶりに手にした。

小学五年の時の担任の先生は、
鹿児島大学を卒業したばかりの若い先生だった。
当時、小学校は与論出身の先生ばかりだったから、
とても新鮮だった。

その先生が社会科学クラブ(正確な名前は忘れてしまった)
をやっていて、そこで、与論島ゆかりの場所を訪ね歩く他に、
立体地図をつくることもやった。

等高線に添って切り取り、色を塗って、
それを地層のように重ねて板に貼り、作ったものだ。
地名の紙を貼り、仕上げにニスを塗った。

ぼくはこれに味をしめて、
夏休みに、山内建材店から大きな板をゆずってもらって、
日本地図をつくった。

 (※「南島のない日本地図」

幼く粗末だけれど、
地図づくりは楽しかった。

不思議なことに、二十年ぶりの対面だというのに、そんな気がしない。
昨日もおとついも、ずっと前から手元にあったような感じだ。
おまけに、見ていると、カッターで厚紙を切っていた自分に戻るようで、
ドキドキしてくる。

思えば、この頃にはもう与論島に夢中だった。

そのうち、時間を見つけて、
汚れを拭き取り、離れた厚紙を付け直し、ニスも塗りなおしたい。


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コメント

 あの時代、はやっていたんでしょうか。
 同時期に奄美大島の地図を等高線で切り抜いて重ねて作った覚えがあります。
 もう無くなってしまったでしょうが。

投稿: mizuma | 2007/08/16 11:19

クオリアさん

 分っているつもりでも
そういう地図を見ると「ワアー!ユンヌだ!」
と思います

 イチョウキ長浜を潰してしまったコースタル
リゾートも、今となっては、どう活用するかで
でしょうが

 与論のインフラストラクチャーは、排水施設
整備に尽きると思っています
島が活き続ける、命運がかかっているのは「水」
の扱いではないかと…

 シルカアブ、鍾乳洞、ハミゴー、ピジョー、
シゴー・・・

 島自体が病むことなく生きていることが、何
より大事なことではないでしょうか

 島の姿を俯瞰できたことで、ホッとしました
イチャリティ!

 災害、飢饉、疫病…に、この小さな島が苛ま
されることがないようにしたいですね

 「廃れるのも文化だ」と云ってのけられると
ユンヌ言葉や島唄の行く末が案じられます

投稿: サッちゃん | 2007/08/16 16:44

mizumaさん。

ああ、そうですか。大島の地図は迫力ありそうです。
もし、見つかったらぜひ拝見させてください。

投稿: 喜山 | 2007/08/16 20:28

サッちゃんさん。

水、ですね。
「廃れるのも文化だ」と言われて無くなるほど、
与論の底は浅くないと信じます。

ガシガ。

「イチャリティ!」

ウレーカティ、ガンチャーリボー、
シッカイ、イショーシャイ。
シューヤ、ヨイシリバドゥ。


投稿: 喜山 | 2007/08/16 20:32

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