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2007/08/19

「沖縄問題」とは何か 4

こんな風に『「沖縄問題」とは何か』を巡ってくると、
ぼくは仲里の考察に可能性を見出す。

 「日本復帰運動」を越えなければならない壁として
 はっきり意識しはじめたとき、
 沖縄戦のもっとも際立った特徴の一つに挙げられる
 「あまりに沖縄的な死」としての「集団自決」がにわかに
 のっぴきならない形で浮上してきたのである。

 親が子を、子が親を、夫が妻を手にかけ
 集団でしに至らしめた凄惨な出来事はなぜおこったのか。
 その問いを徹底して突き詰めることによって
 「あのイクサ」が「われわれのイクサ」になった。
 「あまりに沖縄的な死」に、
 植民地化された人たちの共同の幻想の極限的な倒錯を見てしまった、
 ということである。
 (「浮上する『集団自決』の共同幻想」仲里効)

この考察は真摯なフォーカスがなされていると思う。
この突き詰めのなかで、
「あのイクサ」が「われわれのイクサ」になると、
ぼくも、言える。

大事なのは、「われわれのイクサ」という権利を、
仲里が、沖縄人以外にも持たせることだ。

つまり、「集団自決」は、「あまりに沖縄的な死」という以外にも、
「あまりに日本的な死」という普遍化できる
問題を孕んでいるという視点だ。

この突き詰めを、沖縄だけで共有できるものとして特権化する限り、
仲里の考察は空振りすると思える。

しかし、その視点は、
ビジョン構築に向けて鍛える価値があると思う。

仲里は、「ヤマトンチュ」というテーマでは、
「1/47でなく1:46」と、書く。
日本の一部としてではなく、対日本として見よ、というメッセージだ。

ぼくなら、「1/47かつ1:46」、
あるいは「着手1/47、着眼1:46」と言うところだ。

 ○ ○ ○

さて、交響することなく、不協和に終始した二重の考察を出版するにあたり、
二人は対論を行っている。

 -高良さんと仲里さんは学校教員によって共通語を刷り込まれた世代だ。

 高良 それは、しかし、単に学校の教育によって言葉を奪われ、
     ウチナーグチをしゃべらなくなった人が輩出したということなのか。
     方言の断絶で問題なのは、むしろ家庭で言語のバトンタッチを
     自覚的にやってこなかったことにある。

 仲里 それをやってこなかった背景にも、「方言」の排斥が
     教育的権力によって運動として強力に推進されたことがあるだろう。
     それが、私たちの世代が後の世代に言語を引き継げないでいる
     大きな要因だ。失われた言語や想像力を回復するためには、
     自覚的に主体をめぐる問題圏でそのことを
     まなざし返していかなければならない。

 高良 言語の問題を政治的メカニズムのみに収斂させるのは
     間違いだと思う。
     私たちの子ども時代はまだ地域のつながりがあり、
     学校で共通語を教育されても地域の中で
     方言に触れる機会があった。
     しかし今の都市部では横のつながりがなくなり、
     家庭で方言を使わなければ、ほかに使う場所はない。
     それに、私たちと子どもの世代に言葉のギャップがあるのは、
     沖縄だけの現象ではない。地域の伝統文化が受け継がれなく
     なったという日本全国どこにでもある現象だ。
     方言を語るときには、そのことを考慮に入れなければ
     一方的な議論になる。

 仲里 そういう風に一般化してしまえば元も子もない。
     沖縄という場にこだわって植民地主義の問題や
     国家のあり方を考えるとき、
     沖縄の言語体験は
     日本中のどこにでもある問題だということではすまない。

このあたり、仲里は、「植民地的身体性」というのだけれど、
身体性はそんなに底の浅いものではない。

つべこべいわずに方言を覚えればいいのに。
そしたら楽しいことも発見もあるのに、と思ってしまう。

高良の言う「日本全国どこにでもある現象」という整理と、
仲里が「そういう風に一般化してしまえば元も子もない」
という反論は根が深い。

高良の言う側面があればこそ、
異論を唱える方は、「元も子もない」ということを、
相手に伝わるように言わなければならない。

奄美の課題も同じ構造を持っている。
植民地の問題を言挙げするだけでは、
「われわれだって植民地のようなものだった」という声が返ってくる。
ある意味で、それは薩摩の思想の常套句でもある。
だからって許さないぜ、というためには、
「一般化」されない論拠、
「教育的権力によって運動として強力に推進された」
ということが、他の地域と違っていること、
それがどんな影響を持ったかということを
伝えていかなければならない。

「沖縄問題」とは何か?
それは、現実を捉え損ない空転する理念と、
現実を捉えるも、沖縄を生かしきれていない理念との対立だと、
ぼくは受け止める。

仲里と高良の向こう側へ、ぼくたちは行かなければならない。


※編集者による脚注に基地収入と観光収入のメモがあった。

 1972年 基地収入(県民所得の15.5%)
 2003年 基地収入(県民所得の 4.7%)
       観光収入(県民所得の10.0%)

観光収入は基地収入をすでに上回っている。
この実力増強は、とても重要な意味を持っていると思う。


 ※「『沖縄問題』とは何か」1
  「『沖縄問題』とは何か」2
  「『沖縄問題』とは何か」3


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