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2007/07/29

巨人伝説の島・波照間

波照間島では、野本さんは波照間の地霊を感じている。

 この闇の中を歩いている時、
 ぼくは忘れてしまっている記憶が、
 静かに蘇ってくるような不安とも期待ともつかない
 心のざわめきを感じていた。
 生きものの遠い記憶、人類の懐かしい記憶。

 深い深い人類の根、生きものの根のようなものが、
 この島には息づいている。

ぼくは、これが琉球弧の感受の核にあるものだと思う。
それを最も感じることのできる島が、波照間島なのかもしれない。
そういえば、よしもとばななも、こう書いていた。

 なんとなく宇宙って感じ。
 空を見たら円盤が飛んでいても全然驚かない。
 どことなく空気が希薄で、独特のすごみが漂っている。
 そういう場所なのだ。
 (よしもとばなな『なんくるなく、ない』)


この島は、琉球王朝に攻められた地であり、
オヤケアカハチという英雄が生まれ、巨人伝説を残す。
また、離島苦から、波照間島の南に、
「南波照間(パイ・パティローマ)」があるという信仰を生んだ場所でもある。

南波照間は、ぼくの仮説からは、“南の沖の島”という意味になる。

「南の沖の島」を言葉の意味だけとれば、
琉球弧の島々そのもののことだ。

「南波照間(パイ・パティローマ)」は、
琉球弧の端で思い描くもうひとつの琉球弧なのだ。

端というのは不思議なポジションだ。
端という条件だけで、端ではない場所とは違うものを生み出す。

それが、波照間島の地霊の強度であり、
南の島(琉球弧)の幻視だ。

いつかきっと訪れたい。

 ○ ○ ○

たまたま人様のブログで『日本はじっこ自滅旅』という本を知った。
著者の鴨志田穣さんは、この三月に亡くなられている。
この、「はじっこ」の旅には、
種子島、奄美大島、与論島も入っているのだけれど、
大島、与論にどんな「はじっこ」を感じたのだろう。
気になるところだ。

『海と島の思想』 (野本三吉)
Ⅰ 人類史の基層文化
5 巨人伝説の島・波照間




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